2009年6月18日木曜日

アヒルと白鳥

たとえばあなたが陸上の100m走に出場するとする。
もし一緒に走る相手を選べるとしたら、自分より足の速い人・遅い人どちらを選ぶだろうか。

母集団をどのようにとっても、ある集団の中には「仕事ができる人」「普通の人」「できない人」が同じような割合で含まれるという。
この法則は、たとえ複数のグループの中で成績が上位のメンバーだけを集めた集団をつくったとしても同じように成り立つというから不思議だ。
これは猿山のヒエラルキーと同様に、集団の中の位置づけによってその人のモチベーションもまた制約されてしまうという事象の表れではないかと思える。
「勝てない相手とは争わない」というのは、社会性をもった生物として我々の深層心理にくっきりと焼き付けられた本能なのかもしれない。


昨年春に異動を命じられ、僕は別の部署に移った。
そこであった出来事についてはまた別の機会に書くかもしれないが、とりあえずここでは伏せておくことにする。
とにかく、翌年の1月に僕はもといた部署に戻ることになった。

今の会社に入社したころその部署は人も少なく、仕事のやりかたもルーズだった。
僕は少しずつルールを作り、マニュアルを整え、システムを構築した。
それは藪を切り開いて道を作るような作業であり、時間を要し、ときに棘に皮膚を裂かれることもあったが、自分で世界を構築する楽しさがあった。
新たな耕作地を目の前にした入植者のように、厳しさと同時に希望があったのだ。

しかし、久々に戻ったその部署にはそのような希望が見いだせなかった。
硬直したルール、保守的なポリシー、矛盾したテーゼ。
そして何よりも、それまで僕がいたそのポジションにはすでに別の誰かがいた。
ただ、与えられた問題の答えを探す日々。
自らが新たな問いを作り出すことの意味は失われていた。

ある日僕は、自分が既にそこでは必要とされていないことに気づいた。
ルールという枷が首に巻きつけられ、絞め上げられようとしていた。
しかし失ってしまった場所を取り戻そうという気力はない。
毎日ただ、定時になるのを待ちわびている自分がいる。
これは生きるための手段なんだと自分に言い聞かせて。


童話「みにくいアヒルの子」の主人公は白鳥だった。
あなたは白鳥になりたいだろうか、それともアヒルでいることを選ぶだろうか。

僕はアヒルの群れからはぐれた一羽の水鳥かもしれない。
しかし白鳥になる夢などとうに失ってしまった。
そしてその力もない。
いつしか白く生えかわる羽を持たずして、自分が白鳥であると信じてもがく水鳥は哀れでしかない。
外敵から身を守り、餌を手に入れることができるなら、孤独な白鳥よりもうらぶれたアヒルでいることを望む。

もうそんな歳になってしまったということだろうか。

3 件のコメント:

  1. お疲れさまです。
    部署が戻って安心かと思ったら、そうでもなくて、いろいろあるんだね(>_<)
    働くことは矛盾がいっぱいでつらいことだけど、やっぱり楽しさがないと、やってけないよね。
    ごめん。
    今はまだ何を伝えればいいかわからないけど、今度会った時に話を聞かせて欲しいっす。

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  2. 君達は一体何を望んでいる?
    更なる戦争を望むか?
    情け容赦のない糞の様な戦争を望むか?
    鉄風雷火の限りを尽くし三千世界に鴉を殺す嵐の様な闘争を 望むか?

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  3. > OIK.
    相方にも憐れまれてしまいましたが(笑)
    まぁ仕事っていろいろあるよね。
    単純なことをあえて複雑にすることによって
    おまんまにありつけるんだから仕方ないのか。。。
    > helion
    戦争! 戦争! 戦争!
    社会の矛盾にぶちあたって疲れた時って、
    そのように自身の思考システムを誰かに丸ごと預けて
    楽になりたくなるっすよ。
    オウムとか今あったら危ないかもねぇ。

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