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2017年3月29日水曜日

村上春樹作品における小便シーンの研究6

「騎士団長殺し」新潮社 第2部 遷ろうメタファー編 pp.390-391

 いずれにせよ、寒さは前より痛切になっていた。そして尿意も感じるようになった。我慢できないほどの尿意だ。しかたなく、私は穴の隅に行って地面に放尿した。長い放尿だったが、尿はすぐに地面に吸収されていった。微かなアンモニアの匂いがしたが、それもすぐに消えてしまった。そして尿意が解消してしまうと、そのあとをすぐに空腹感が埋めた。私の身体はゆっくりと、しかし着実に現実の世界に適合しつつあるようだった。あのメタファーの川で飲んだ水の作用が、身体から抜け落ちつつあるのかもしれない。


これまで村上春樹作品ではありえなかった○○の存在が話題な「騎士団長殺し」ですが、小便シーン研究家の僕に言わせれば、村上作品のタブーを破り、初めて「私」がトイレ以外の場所(「井戸」ならぬ「穴の底」)で小便をしたという事実が衝撃的。

私のトイレはここからどこに進んでいこうとしているのか?

2009年7月8日水曜日

村上春樹作品における小便シーンの研究5

「国境の南、太陽の西」講談社文庫 pp.50-51

 叔母は気楽に歌を歌いながら野菜を切ったり、味噌汁を作ったり、卵焼きを作ったりした。でもどれだけ経っても彼女は洗面所に行かなかった。それは僕をすごくいらいらさせた。ひょっとしたらこの女はとくべつ巨大な膀胱を持っているのかもしれないと僕は思った。でも僕がほとんどあきらめかけたころになって、やっと叔母はエプロンを取り、台所を出ていった。僕は彼女が洗面所に入るのを確かめてから居間に飛んでいって、手を思い切り二度叩いた。イズミが靴をさげて階段を下りてきて、素早くそれを履き、音を忍ばせて玄関から出ていった。僕は台所に行って、彼女が無事に門を出ていくところを確認した。それからすぐに、ほとんどすれ違いみたいに叔母が洗面所から出てきた。僕はため息をついた。


両親が法事か何かの用事で出かけてしまったある日、彼女を自宅に連れ込んだ高校生の「僕」。
そんな時に限って、突然叔母さんがやってきて夕食を作ってくれるという。
部屋に閉じ込められて出ていくことができない彼女。
僕は叔母さんがトイレに行くタイミングを見計らって、彼女を外に逃がそうとするのだが。。。

大人になってしまった今ではあまり意識しないけれど、パートナーと裸で向き合うことができるということはとても素晴らしい経験だと思う。
でもそれはタイミングがとても難しい。
高校生の男子といえば性欲のかたまりみたいなものだけれど、パートナーが同年代の女性だとしたら、ある程度性的に奔放な性格でないと暴走した欲望が二人の関係自体を損なってしまうことだろう。
僕らが「あの頃」を切なく思い出すのは、そんな薄氷を踏むような危うさを伴った時代だったからなのかもしれない。

2009年6月3日水曜日

村上春樹作品における小便シーンの研究4

「1Q84」新潮社 BOOK1 p.65

 彼女はホテルに入ると、まっすぐ洗面所に行った。ありがたいことに洗面所には誰もいなかった。まず便座に座って放尿をした。とても長い放尿だった。青豆は目を閉じて何を思うともなく、遠い潮騒に耳を澄ませるように自分の放尿の音を聞いていた。


最新作、1Q84でももちろん小便シーンは健在です。
20代の女性である「青豆」が、たとえ誰もいないとしても水を流さずに(または流水音を鳴らさずに)長々と放尿するものかなぁと思いはしましたが、ここでそんなことを考えるのは無粋というもんでしょうか。

これから始まる物語の大いなる予感をはらんだ潮騒のざわめき。
小便を終えたとき、彼女は運命の場所に向かい、そして世界は変容するのです。

2008年5月25日日曜日

村上春樹作品における小便シーンの研究3

「羊をめぐる冒険」 新潮文庫(旧版) 下巻 pp.211-212

鳥が鳴いていた。
太陽の光がブラインドのすきまから縞模様になってベッドに降っていた。床に落ちた腕時計は七時三十五分を指していた。毛布とシャツはバケツいっぱいぶんの水をこぼしたくらいぐっしょりと濡れていた。
頭はまだぼんやりとくすんでいたが、熱は去っていた。窓の外は一面の雪景色だった。新しい朝の光の下で、草原は銀色に輝いていた。冷気が肌に心地良かった。
僕は階下に下りて熱いシャワーを浴びた。顔色はいやに白んで、一晩で頬の肉がげっそりと落ちていた。僕はいつもの三倍ぶんのシェービング・クリームを顔中に塗って丁寧に髭を剃った。そして自分でも信じられないほどの量の小便をした。


なぜ、村上春樹作品の 「僕」 はみな大量の小便をするんだろう(笑)。

2007年9月29日土曜日

村上春樹作品における小便シーンの研究2

「1973年のピンボール」 新潮文庫(旧版) p.66

双子がぐっすりと眠った後で僕は目覚めた。午前三時。不自然なほど明るい秋の月が便所の窓から見えた。台所の流しの端に腰をかけ水道の水を二杯のみ、ガステーブルで煙草に火を点ける。月明かりに照らし出されたゴルフ場の芝では何千匹という秋の虫が折り重なるように鳴き続けている。

双子と暮らす温もりの中ですら癒すことのできない喪失感。
ある季節の終わり。
便所の窓から見える月がこんなに物寂しいものだとは……。

この時期に読むとますます切なさがつのります。

2005年11月17日木曜日

村上春樹作品における小便シーンの研究

村上春樹の作品には、数多くの印象的な小便シーンが出てきます。
個人的には、小便シーンはビールを飲むシーンと同じくらい村上作品において重要な位置を占めていると思うので(笑)、小説を読み返した際にこのようなシーンを見つけたらメモしていきたいと思います。

さて、記念すべき最初のシーンは……


「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」 新潮文庫 下巻 pp.237-238

私は二杯目のビールを注文してから便所に行ってまた小便をした。小便はいつまでたっても終らなかった。どうしてそんなに沢山の量の小便が出るのか自分でもよくわからなかったが、とくに急ぎの用事があるわけでもなかったので私はゆっくりと小便をつづけた。その小便を終えるのに二分くらいの時間がかかったと思う。そのあいだ背後では 「ボレロ」 が聴こえていた。ラヴェルの 「ボレロ」 を聴きながら小便をするというのは何かしら不思議なものだった。永久に小便が出つづけるような気分になってしまうのだ。


二分間小便をし続けるなんて、こりゃもう異常事態としか言いようがありません(笑)。
「私」 が、腹をナイフで切られたり地底で蛭に血を吸われたりといったハードな冒険の末にやっとの思いで穏やかに小便をする時間を手に入れたという事情を勘案すると、小便くらいゆっくりとさせてあげたいという気はするのですが……物事には限度というものがあるのではないかと。(^^;
それにしても、よりによって小便をするときに 「ボレロ」 はないよなぁ……。

ちなみに 「マイニチ」 の第11話でももが言及している 「村上春樹作品の小便シーン」 はこれだと思われます。……って、こんなこと書いても誰もわからないと思いますが(笑)。
日本にこのネタが通用する人って何人くらいいるんだろうなぁ(遠い目)。