2009年6月30日火曜日

とりあえず達成

先月末、とにかく「出力する」努力というエントリを書いてから、まずは1か月間毎日日記を書こうという目標を立てていましたが、なんとか達成することができました。

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小難しいエントリを書いたりして相方には何かと不評でしたが、みなさんいかがだったでしょうか?
僕自身の感想は、自分自身を特定の角度で切りだし、それを分析して言葉にしていくという作業はなかなか難しいものだということです。
単純に時間をかければ良いものができるというわけではないですが、帰宅してから寝るまでの限られた時間の中でまとまったエントリの形にするというのは、それなりに大変な作業でした。
大変な作業でなければ文章修行にならないので当たり前なんですけどね。

ただもうひとつ気づかされたのは、最初から素晴らしい文章を書こうと思って身構えると、逆にすんなり言葉が出てきてくれなくなるということです。
文才がある人であれば一つのエントリの構成が頭からお尻までぽんっと浮かぶのかもしれませんが、僕は自分の思考を一つ一つ言葉のかたちに置き換えてみないことにはうまく考えがまとめられないみたいです。

一つ一つ段階を踏んで先に進んでいかなければ最終的な成果が生まれないというのは、文章を書く行為も仕事も同じなのかもしれないですね。
大きな仕事であればあるほど、身構えて(そして、どうしていいか途方に暮れて)しまいがちですが、リラックスして今できることを積み重ねていくことが大切なのかもしれません。
デール・カーネギーの「今日、一日の区切りで生きる」という言葉のように。

2009年6月29日月曜日

2009年7月のコミックス

  • 10日 - ひとひら(7)
    • OIK. 様
  • 17日 - 絶対可憐チルドレン(17)
    • OIK. 様
  • 23日 - ああっ女神さまっ(39)
  • 23日 - チェーザレ 破壊の創造者(7)
    • H美様
  • 23日 - もやしもん(8)
    • 聖様
  • 25日 - 放浪息子(9)
  • 27日 - GUNSLINGER GIRL(11)

あずまんが大王の新装版が今月から刊行されているんですね。
元々全4巻だったものを、学年ごとに全3巻に編集しなおしたものだそうです。
オリジナル版は持っているんだけど、書き下ろしの新作が読めるといわれると思わず食指が動いちゃうなぁ~。

2009年6月28日日曜日

子供を持つタイミング

夕方、ニコ動で地球防衛軍の攻略動画を見ていると、玄関のチャイムが鳴りました。
(今回のエントリに関係ないですが、ニコ動やばいですね。地球防衛軍もそうだけど、おもしろい動画がたくさんあって見始めちゃうと止められない。。。そう思って今までアカウント取らずにずっとyoutubeだけでやってきたんだけど、地球防衛軍のためについついアカウントを作ってしまったのが運の尽きでした)
インターホンに出てみると真上の部屋の住人とのこと。
あれ? 引っ越しの挨拶かな?
でも最近引っ越しなんかやってたっけ?

首をひねりながら玄関に出てみると、ご夫婦そろって出産の挨拶でした。
「泣き声とかうるさいかもしれませんが。。。」というご夫婦に「いえいえ、そういうことはお互い様ですから」と答えながら、ふとお隣の子供ももう1歳半くらいだったことを思い出しました。
我が家を含め、新築のアパートに結婚を機に引っ越したカップルばかりが入居している物件なので、同じようなタイミングで皆さん子供を持つようです。

翻って自分たちのことを考えると、いつの間にかもう立派な30代なんですよね。
35歳になったらもう高齢出産と呼ばれるようになるわけで、子供を持つ意思があるならば時間的なリミットは意外と切迫しています。
それは経済的な問題だけでなく、母体への影響やダウン症発症のリスクなど、出産そのものに関する問題も多くはらむ切実な現実です。
僕の関東での遊び仲間にはまだ子持ちの家庭はいませんが、気づけばもう4組もカップルがいるわけで、いつ誰に子供ができてもおかしくないんですよね。
よくある話ですが、誰かに子供ができると次々と......となるかもしれません。

そんな状況にある自分ですが、本当に子供が欲しいのか、育てていけるのか、その覚悟があるのか、まだ自問自答の日々です。
家を買うのと同じで「生まれてしまえばなんとかなる」ものなのかもしれないけれど、一度生まれたらもう引っ込めるわけにはいかないだけに、より勢いが必要なわけです。(^^;
僕はこれまで子供ができるまでは自分が子供と思ってきたけれど、それって逆にいえば子供を持って初めて大人になれるってことなんですよね。

うじうじ考えていても仕方ないことのような気もする。
でも、いつまでも流れに任せていられない現実も目の前に立ちはだかっている。
どうやって現実と折り合いをつけてやっていくか、そろそろ本気で考えなければならない時期が来ているということだろうか。。。

2009年6月27日土曜日

焼肉ハウス大滝

ボーナス祝いということで、先日のエントリのコメントで書いたミート矢澤系列の焼き肉店、焼肉ハウス大滝に行ってきました。
さてさて、ヤザワミートのお肉はどんな味でしょうか?

みなとみらい線の馬車道駅で下車して、駅から数分。
オフィスビルの一階の奥、あまり目立たない場所に焼肉ハウス大滝はあります。
馬車道駅周辺はビジネス街で週末の通りは閑散としていますが、7時半に店に着いた時は店内はほぼ満席でした。
(ちなみに、一応予約してから行きました)

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入口の奥にちょっと見えていますが、部位毎の牛肉のトレーサビリティ情報が掲示されていて肉にこだわっている雰囲気です。
上の画像だと良く見えませんが、肉の部位によって個体番号や牛の産地が違っています。
素人考えだと、一頭の牛を丸ごと仕入れて(いわゆる一頭買い)解体したそれぞれの部位をメニューとして出しているのかと思ってしまいますが、そうではないんですね。

席に通され早速メニューを見てみると、ヤザワミート系らしく「希少部位」メニューを発見。
見ている分には面白いけど、何せ値段が高いんですよねこれ。
フィレやシャトーブリアンに至っては一人前5000円オーバー。
そんなわけで、高価なメニューはスルーしてレギュラーメニューからチョイスします(笑)。

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最初はオススメされた生でも食べられるハツ。
一枚は生で、もう一つはあぶっていただきました。
ハツってもっと内臓臭くてかたいイメージがあったんですが、やわらかくて正肉に近い味わいなので生でも美味しく食べられます。
でも、刺身として食べるにはちょっと味付けが濃すぎかな。

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あとは定番のレバ刺しと、

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ロース(左)とクーポンでもらった希少部位の「トウガラシ」(右)。「トウガラシ」は腕の上の方の部位だそうです。

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そのほか、豚肉も含めて食べてみましたが、どの肉も甘みがあって十分に美味しかったです。

でも一つ苦言を呈すなら、全体的に味付けが濃いと思うんですよね。
ご飯のおかずとして食べるならバッチリなんだけど、ビールのつまみとしてはちょっとしょっぱ過ぎる感じ。
前に「ホルモン稲田」に行ったときにも思いましたが、肉そのものがおいしいんだから、味付けはもうちょっと控えめにして肉の味を生かせばいいと思うんだけどなぁ。

お会計は、クーポンで「ワンドリンク+希少部位一皿サービス」を頂いて一人4500円。
肉・ドリンクともに高めの価格設定ですが、クーポン分が効いたので一万を超えずに済みました。
クーポン分を考えないと、行きつけのしげ吉と比較して1.5倍程度の金額になると思います。
(しげ吉で肉をそれなりに食べてサイドメニュー少々とビール3杯注文すると一人5000円台ですが、大滝だと7000円~8000円になると思います)

僕は希少部位など「大滝ならでは」の要素を注文しないこともあり、コストパフォーマンスも含めてトータルで評価すると、しげ吉の方に軍配が上がるかなと思います。
少なくとも肉の味に関してはびっくりするほどの差はなかったかなと。
でも、懐具合を全く気にせずに食べるなら、いろいろな種類の肉が食べられる大滝の方が楽しいかもしれないです。
自分がデートに誘うならしげ吉に連れて行くし、自分が連れて行ってもらうなら大滝に行きたいって感じといえば伝わるでしょうか(笑)。

2009年6月26日金曜日

字が上手くなりたい

けいおん!は昨日最終回でしたが、関連グッズが結構売れているみたいですね。
澪ホンの件については先日触れたのでおいておくとして、律が使っている「LAMYのサファリペンシル」が売れているなんて言われても、見ていて全然気づかなかったんですけど。。。

LAMY(ラミー)はドイツの文房具ブランド。
その独特のデザインから、文房具好きな人なら知らない人はいないほどメジャーなブランドです。
インポート系の高級文具の中では比較的廉価で面白いものが買えるので、かくいう僕も2本ほど持っています。

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上がスウィフト・ローラーボール、下がアルスター万年筆です。

特にスウィフトには面白いギミックがあります。
普段はこういう普通のボールペンの形状をしているのですが......

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ノックして芯を出すと、同時にクリップの部分が本体に収納されるのです。

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この機構によって、どの角度でペンを持ってもクリップが邪魔にならないというわけ。
一般的なノック式ボールペンと違って、水性インクのため書き味がサラサラなのもGOOD!
日本語を書くには若干線が太いのと、インクが紙を選ぶ(紙質によってはインクがにじんでしまう)のが弱点ではありますが、ペン自体の質感も高く文字を書くのを楽しくしてくれるペンです。

そんなわけで、カジュアルなルックスのLAMYは結構ファンなのですが、文房具好きとしてはいつしかモンブランやペリカンといった老舗どころの重厚な筆記具を手にしてみたいと思うもの。
そんなときにハンディキャップとなるのが字の下手くそさです。

高級万年筆は、店頭で試し書きをして自分に合ったペン(とペン先。高級万年筆のペン先は手作りなので、同じ製品でも一つ一つ個性がある)を選んで買うのが良い、と言われているのですが、字が下手くそだと店頭で試し書きするのが恥ずかしいんですよね。
相方にもしょっちゅう馬鹿にされてムカつきます。
自分でも結構気にしてるんですけど。。。

通信講座みたいなのをやるのは敷居が高いなぁと思っていたのですが、調べてみると書店でも字の練習帳のような本がいろいろと売られているようです。
道具に負けない腕を手に入れるべく、一度買って試してみようかなぁ。

そういえば、小学校5~6年生のときの担任の先生(結婚式にも来ていただきました)がとても字のうまい人だったので、その字に憧れたことを思い出しました。
GWに帰省した時に部屋の整理をしていて昔頂いた年賀状を見つけたのですが、今見てもほれぼれするような達筆でした。
どうやったらあんなきれいな字を書けるようになるんだろうなぁ。
達筆を手に入れることができたら、手書きの文字をスキャンして「筆ブログ」みたいなものをやっても楽しそうですね。

2009年6月25日木曜日

朝ドラと魔道物語

みなさん、NHKの朝の連続ドラマ小説って観てますか?

僕は、数年前に故郷盛岡を舞台にした「どんど晴れ」が放送されるまでほとんど観たことがありませんでした。
まぁ「どんど晴れ」も、相方がHDDレコーダーに録るようになったから一緒に観たという程度なんですが。。。
そんなドラマに興味がない僕と対照的に、相方は「どんど晴れ」を機に朝ドラにハマってしまったらしく、その後も「ちりとてちん」「瞳」「だんだん」「つばさ」と全作品を観つづけています。
帰宅後にその日の朝の録画分を観るので、当然僕も一緒に観ることになります。

そんなわけで、最新作の"小江戸"川越を舞台にした「つばさ」も観ている(観させられている)のですが、主演の多部未華子のしかめっつらが何かに似てるな~とずっと思っていました。
今日も夕食を食べながら今朝の放送を観ていたのですが、ウィスキーをすすりながら画面を眺めているうちにふと記憶の回路がつながりました!

魔道物語(ぷよぷよ)のすけとうだらだ!!

ちょっとつり目がかった一重瞼(隠れ二重?)がすけとうだらに似てると思うんですが、いかがでしょう?
いやー、TAKERUで買った魔道物語1-2-3をMSXでプレイしていた頃が懐かしいなぁ~。

2009年6月24日水曜日

アボカドの栽培に挑戦!

相方がサラダを作っているところを見ていて、ふと思いました。
「アボカドのこの巨大な種って、植えたら育つのだろうか?」と。

さっそく検索してみると、種から育てる方法を紹介しているサイトが次々と出てきました。
それらによると、アボカドは熱帯の植物ではあるものの、成木になれば東京近郊でも実がなることもあるくらい寒さに強く、国内でも意外と育てやすいとのこと。
ならば、ということで早速育ててみることにしました。

発芽させるためには冷蔵庫に入れて冷やさない方がいいらしいですが、手元にあるのは野菜室でバリバリに冷やしたアボカド。
いささか心配ではありますが、まぁどうせ捨てようかと思っていた種です。
発芽しなかったとしても損するわけではないし、ものは試しということで。

発芽させる方法は、直接土に埋める方法と水耕栽培の二種類があるようですが、土を入れる適当な器がなかったので今回は水耕栽培をしてみることにしました。
水にどぼんと漬けてしまうと呼吸ができずに腐ってしまうそうなので、水から半分顔を出すように爪楊枝を刺して固定します。
種が若干扁平になっている方が下(根が出る方向)になるように。
一見堅そうに見えるアボカドの種ですが、表面は意外とやわらかく爪楊枝は簡単に刺さりました。

出来上がりはこちら。

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あとは毎日水を交換しつつ、芽が出てくるのをひたすら待つだけです。
うまくいっても、芽が出てくるまでには結構時間がかかるようなので気長に待ってみます。

2009年6月23日火曜日

好き嫌いがないのはいいことなのだろうか?

僕は食べ物の好き嫌いがない。
もちろんくさややドリアン、シュールストレミングなど食べたことのないものもたくさんあるのだが、「食わず嫌い王決定戦」で出てくる程度の一般的な食べ物で嫌いなものは経験したことがない。
僕らが子供のころは食べ物の好き嫌いはとても良くないことだと教えられてきたし、学校の先生の対応も今と比べてだいぶ厳しかったのだけれど、幸い僕は昼休みまで給食とにらめっこして過ごすような羽目にならずに済んだ。

しかし、好き嫌いがないということは本当に良いことなのだろうか?

僕は物事を批判的に評価するのが苦手だ。
もちろん個人的な好みのようなものはあるにせよ、あまり好きだと思えなかったものに対しても「僕はあまり好きではないが、中には好きだという人もいるかもしれない」というように、考えを留保してしまう。
「なんか嫌だな」と思った時点で目をそらし、それ以上考えないようにしてしまうのだ。
これは考えようによっては逆の意味で自分の頭でものを考えないのと同じで、非常に良くないことであるように感じる。
何を好むか・嫌うかといった世界に対する姿勢の現れが「個性」であるとすれば、何も嫌わずにすべてを受け入れるというのは没個性の一つのかたちではないだろうか。

しかし、何かを否定するということは勇気のいることでもある。
少なくともその対象を好む人を敵に回すことになるし、自らの無知を公言する結果になるかもしれない。
本当においしいコーヒーを飲んだことがない人間が、知ったふりをしてファーストフードのコーヒーをまずいと言っていたら、それは滑稽でしかないだろう。

自分の頭でものを考えるということ、それは簡単なようでいて難しい。
その考えを人に伝えようとすればなおさらだ。
そしてここからが大事なのだが、僕たちはそのようにして誰かが僕たちに伝えようとする「批判的な考え自体」を批判的に評価しなければならない
何かを言い切るということは、それだけで不思議な力を持つものだ。
誰かが「おいしい」といったコーヒーはおいしそうに感じるし、「まずい」と言い切ったコーヒーはまずそうに感じる。
人間は無意識のうちに、感じたものをそのまま受け入れるのではなく、自分が考えたいように考えてしまうものだ。
先入観なしに「自分の考え」を持つことはとても難しいがゆえに、先入観を持たせようとする情報は注意して受け取る必要がある。

そのような文脈において、自分自身が物事を批判的に評価する訓練ができていないということは弱点であると思う。
好き嫌いがはっきりしている人が、そのような評価を内面できちんとできているのかどうかはわからない。
しかし、常にあいまいな態度を取り、判断を保留していてはそのような訓練につながらないと思う。
この日記においても、「嫌い」だと思ったことは率直に「嫌いだ」と表現できるようになりたい。

2009年6月22日月曜日

書くことによるプラスのサイクル

Joel on Softwareというブログをご存じだろうか。
(書籍版の訳者でもある青木靖氏による日本語化プロジェクトはこちら

イスラエル国防軍で落下傘兵として働いたのち、MicrosoftでExcel 4.0の仕様を作ってビル・ゲイツのレビューを受け、その後数社のキャリアを経てFog Creek Softwareというソフトウェア会社を興すに至ったという経歴を持つJoel Spolsky氏のブログである。
Microsoft時代の内幕の話から、プログラミングやソフトウェアエンジニアリング、ソフトウェア会社の経営論、採用方法のガイド、果てはオフィスのデザインに至るまで、軽妙な語り口でありながら非常に現実的で示唆に富んだコラムが揃っていて、普段からモヤモヤと「何かおかしい」と思っている問題を見事な角度ですっぱり切って見せてくれる。
僕は直接ソフトウェア関係の仕事をしているわけではないが、どのエントリも考えさせられることがたくさんあるし、なにより読んでいてとても楽しい。

その中のコンピュータサイエンスの学生へのアドバイスにこんな一節があった。
少し長いが引用させていただく。
(上記のリンクから全文を読むことができる)

まあまあのプログラマと優れたプログラマの間にある違いは、どれだけたくさんのプログラミング言語を知っているかではなく、JavaとPythonのどちらを好むかということでもない。違いは彼らがアイデアについてコミュニケートできるかどうかという点にある。他の人を説得することで、彼らは力を得るのだ。
(中略)
私は英語で文章を書け、しかも上手く書けるのでなければプログラマを雇わない。あなたが良く書けるなら、あなたが職を得たときすぐに仕様書を書くように頼まれるようになり、それによってあなたは影響力を伸ばすことができ、マネジメントの目にもとまるようになる。
多くの大学には「文章を書くこと中心の」授業があり、その単位を取るためには非常に多くの文章を書く必要がある。そういう授業を探して取るようにしよう! どんな分野でもいいから、毎週、あるいは毎日文章を書く宿題を出す授業を見つけることだ。
日記やウェブログをつけはじめるといい。書けば書くほど、書くのは楽になる。そして書くのが楽になれば、もっとたくさん書くようになるという、プラスのサイクルができる。

5月末にとにかく「出力」する努力というエントリを書いた時は上記の文章を読む前だったのだが、まさにJoelの言うとおりだと思う。
文章を書くのは長距離走みたいなものだ。
誰もがマラソンで3時間を切れるわけではないが、一度も歩かずに完走することは練習さえすれば誰にでもできる。
名文を書くことはできなくても、自分の頭の中にあるユニークな「何か」の断片を一つの形として取り出すことはできるのだ。

最初は1km走るだけで息が上がってしまったとしても、自分の体と対話するコツさえ掴めば10kmでも20kmでも走り続けることができるようになる。
ここ何週間か、とにかく毎日ブログを書くという努力を続けてきて、自分の中身を取り出すことが少しずつ楽にできるようになってきた気がする。
あとは、「ねじまき鳥クロニクル」の主人公が井戸に降りていくように、少しずつ自分の中のより深い所まで降りていけるようになれるといいなぁと思う。

ただ、自分の中身を出力できるということと、仕様書がうまく書けるということはイコールにならないようだ。
僕の仕事場では、最近とみに「××設計書」みたいなものを書かせられるようになってきたのだが、これが非常に苦痛で仕方ない。
顧客に提出する文書ならば納得もできるが、自社内でしか使われない(それもレビューが終わったら二度と参照されないような)文書を作るのは退屈なのだ。
実際にやってみれば簡単にできるようなことを、どうしてわざわざ遠回りして文書にする必要があるんだろう?
業務規程に従って文書を作らなければ社内のちょっとしたシステムの改善さえも行えないような、硬直化した枠組み作りがいい仕事に繋がるとは到底思えないのだが。。。

2009年6月21日日曜日

地球防衛軍2 「絶対包囲」攻略

ねんがんの「絶対包囲」をクリアしたぞ!

小雨が降る中、聖宅へお邪魔してひたすら地球防衛軍2をプレイ。
ついに最後の難関、「絶対包囲」INFERNOのクリアに成功しました!

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INF絶対包囲の壁にぶつかったのは結婚前だったと思うので、ここまで来るのに3年以上かかりました。
いやー、長かった。そしてしんどかった。
以下、二人プレイ用の攻略方法です。
シークレット武器なし・特別なテクニックを必要としない攻略方法としては、たぶん最も簡単なパターンだと思います。

ペリ子の自爆がカギになるので、長時間の自爆に耐えられるHPが必要。4000程度を推奨。
一方陸戦はうまくいけばほとんどダメージを受けずにクリア可能。
武器は陸戦:ライサンダーF&UM-XA、ペリ子:好みの自爆武器&サンダーボウ30。

  1. 開幕したらすぐ陸戦がペリ子の上に乗り、合体飛行で前方上空の超爆を目指す。陸戦はUM-XAをワンセット撃って前方の蜘蛛を攻撃。ペリ子は超爆の上に着地できるように飛行する。
    (超爆の飛行方向によっては上に乗れない場合があるので、そのときはやり直し。また、超爆との速度差があり過ぎると突き抜けてしまうので、うまくスピードをコントロールして着地すること)
  2. 超爆の上に着地したら、陸戦は中心部の周囲にあるくぼみに移動(羽根の上などにいると振り落とされてしまう場合があるため)しつつ、超爆にライサンダーFを5発打ち込み、残り2発を空撃ちしてリロード。
    ペリ子は超爆から振り落とされない位置で待機。
  3. 敵が中心部に集まってくるまで数分待ってから、ペリ子が敵を引きつけつつMAP右上隅(コーナーの部分にビルが建っている場所)に向けて飛行開始。敵が迫ってきたら後ろを向いてサンダーボウで引き打ち。MAPの隅に到着したら自爆開始。
    (なお、この時点で超爆によってバイクが破壊されてしまっている場合がある。バイクは無くてもクリア可能だがあった方が移動が楽)
  4. ペリ子が地上の敵を引き付けたのを確認したら(敵が分散してしまったらやり直し)、陸戦はライサンダーFで超爆を撃破。自爆中のペリ子めがけてUM-XAを撃ちながら接近する。陸戦に接近してくる敵はライサンダーFで処理。
  5. 外周に出て見通しが良くなったら、接近しつつUM-XAでペリ子に群がる敵を処理していく。蜘蛛が多いほど自爆に失敗する可能性が高くなるので、UM-XAの命中率を高めるためにできるだけ速やかにペリ子に近づきたいところ。落下地点によっては先にバイクを取りに行っても良いかもしれない。敵の残りが少なくなったらライサンダーFに持ちかえ、蜘蛛を一匹だけ残して敵を排除する。
  6. ペリ子は蜘蛛の攻撃をよけながらアイテムを回収して体力を回復。陸戦はバイクでMAP右側外周の中央やや下あたりに陣取る。
  7. 準備ができたら蜘蛛を排除。第二波がMAP上部に発生するので、ペリ子は再び自爆開始。陸戦は敵を引き付けてしまわない程度に様子を見つつペリ子に接近し、UM-XAで攻撃。
    適当に攻撃しているとインペリアル・ボマーの大半は爆風に巻き込まれて死んでくれるので、数が減ってきたら武器をライサンダーFに切り替えてインペリアル・ボマー → 大蜘蛛 → ダロガ → 龍虫の順に狙撃していく。
    この段階まで来ればペリ子が自爆に失敗することはまず無いので、体力さえあれば安定。陸戦は落ち着いて狙撃に集中すれば良い。龍虫が最後の一匹になったらアイテムを回収して終了。

最初は裏技を使わない正攻法で挑んだものの、その圧倒的な包囲網とダメージに打ちのめされ。
ペリ子の自爆技を試すも陸戦だけでは包囲網を突破できず。
合体飛行を知ってバイクを目指すも、蜘蛛の糸であっという間に破壊され。
超爆乗り+自爆に光明を見出したものの、ペリ子の自爆が安定せずに苦労し。

......50時間近くを費やして、ついにこのパターンに行きつきました。
今までこれほど遊びつくしたゲームは無かったよ!!
ありがとう地球防衛軍!


とまぁ、感動と達成感に満ち溢れて帰宅したわけですが、いやはや世界は広い!
有名な攻略Wikiのページでは、更に難易度の高いIMPOSSIBLEの攻略だけでなく、乱数解析によって欲しいアイテムを確実にゲットする方法まで編み出されていました!!

そんなわけで、次の目標は武器コンプリートに決まりました。
これからもよろしく(笑)。>聖

2009年6月20日土曜日

わが家の仲間紹介 その2(ポトス)

切り戻しって知ってますか?
植物の形を整えたり、新芽の発芽を促進したりするために、成長した部分を途中から切り落としてしまうことを言います。
子供のころ、花壇に植えたマリーゴールドの花芽を摘んだ経験がある人もいると思いますが、あれも切り戻しの一種です。
咲いてしまった花の部分を除去することで、脇芽を生やしたくさんの花を長く楽しむことができるわけですね。

そんなわけで、切り戻しは植物の管理には欠かせない作業の一つなわけですが、いざやってみようと思うと結構ドキドキするわけです。
せっかく成長している部分をざっくり切断してしまうわけですから、ちょっと罪悪感もあったり。
とはいえ、ポトスのようなつる植物はどこまでも伸び続けるので、そのままでは株がひょろひょろと巨大になって管理に困ってしまいます。

そんなわけで、今回実験的にポトスの切り戻しをやってみました。
実験なので株をひとつだけ選び、葉を2枚ずつ残すようにしてじょきじょきと切っていきます。
切ってバラバラになった葉の部分は水に漬けておけば勝手に根が出てくるそうなので、ガラスの器に水を入れて放り込んでおきました。


それから一か月、切り戻した部分に新芽が生えてきました。
なにもなかったつるの部分に芽ができて、突如葉が発生するのは(当り前なのでしょうが)結構すごいです。
植物の生命力を感じます。

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切り取って水に漬けておいた葉の方もすごいことに。
気根の部分からたくましい根がにょきにょき伸びて、容器の中で絡まりあってわけがわからなくなっています。
水に漬かっているだけなのに、新しい葉っぱまで生えてきてるし。
ポトスって本当にたくましい植物なんですねぇ。

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そろそろ鉢を準備して土に植えかえてあげないといかんかな~。

2009年6月19日金曜日

最近ヤキが回ってきた気がする

昔は、自分が所有している本やマンガをすべて把握していることが自慢でした。
何軒も古本屋を回り、細々とマンガを買いそろえていたのだから当然といえば当然。
飛び飛びに所有しているシリーズのうち、どの巻をまだ持っていないのかまできちんと分かっていたのだから、間違ってもすでに持っている本を買ってしまうことなどありませんでした。

なのに。。。
ここのところ続けざまにチョンボをしてしまいました。○| ̄|_

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一つ目は下の「ふたつのスピカ」14巻。
15巻の発売を事前に調べた上で本屋に行き、在庫検索をしたうえで最新刊を買ったのに、帰りの電車の中で早速読み始めたらどこかで読んだ記憶が。。。
帰宅して調べなおしてみると発売日が延期になっていたというオチ。
マンガの発売日って結構延期になるので要注意です。

そうそう、ふたつのスピカといえばNHKでドラマをやるんですね。
NHKでは数年前にアニメ化もされました。
コミックフラッパーというマニアックな雑誌で連載されているせいかメジャーではないですが、ほのぼの・しんみりとした良いマンガです。
なにげに、あとがきマンガの「もうひとつのスピカ」が切なくて良かったり。

二つ目は上の「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」。
ネットショッピングの最中「こちらも一緒にどうぞ」の罠にハマってついでにポチっとしちゃったら、こちらもどこかで読んだような記憶が。。。
本棚を調べたら案の定でした。
自宅でショッピングしていたんだから、ちょっと本棚を調べてから注文すれば良かったのに......と思っても後の祭りです。(-_-;


本って、性質上返品できないことが多いので厄介ですね。
久々にヤフオクに出品でもしてみるかなぁ~。

2009年6月18日木曜日

アヒルと白鳥

たとえばあなたが陸上の100m走に出場するとする。
もし一緒に走る相手を選べるとしたら、自分より足の速い人・遅い人どちらを選ぶだろうか。

母集団をどのようにとっても、ある集団の中には「仕事ができる人」「普通の人」「できない人」が同じような割合で含まれるという。
この法則は、たとえ複数のグループの中で成績が上位のメンバーだけを集めた集団をつくったとしても同じように成り立つというから不思議だ。
これは猿山のヒエラルキーと同様に、集団の中の位置づけによってその人のモチベーションもまた制約されてしまうという事象の表れではないかと思える。
「勝てない相手とは争わない」というのは、社会性をもった生物として我々の深層心理にくっきりと焼き付けられた本能なのかもしれない。


昨年春に異動を命じられ、僕は別の部署に移った。
そこであった出来事についてはまた別の機会に書くかもしれないが、とりあえずここでは伏せておくことにする。
とにかく、翌年の1月に僕はもといた部署に戻ることになった。

今の会社に入社したころその部署は人も少なく、仕事のやりかたもルーズだった。
僕は少しずつルールを作り、マニュアルを整え、システムを構築した。
それは藪を切り開いて道を作るような作業であり、時間を要し、ときに棘に皮膚を裂かれることもあったが、自分で世界を構築する楽しさがあった。
新たな耕作地を目の前にした入植者のように、厳しさと同時に希望があったのだ。

しかし、久々に戻ったその部署にはそのような希望が見いだせなかった。
硬直したルール、保守的なポリシー、矛盾したテーゼ。
そして何よりも、それまで僕がいたそのポジションにはすでに別の誰かがいた。
ただ、与えられた問題の答えを探す日々。
自らが新たな問いを作り出すことの意味は失われていた。

ある日僕は、自分が既にそこでは必要とされていないことに気づいた。
ルールという枷が首に巻きつけられ、絞め上げられようとしていた。
しかし失ってしまった場所を取り戻そうという気力はない。
毎日ただ、定時になるのを待ちわびている自分がいる。
これは生きるための手段なんだと自分に言い聞かせて。


童話「みにくいアヒルの子」の主人公は白鳥だった。
あなたは白鳥になりたいだろうか、それともアヒルでいることを選ぶだろうか。

僕はアヒルの群れからはぐれた一羽の水鳥かもしれない。
しかし白鳥になる夢などとうに失ってしまった。
そしてその力もない。
いつしか白く生えかわる羽を持たずして、自分が白鳥であると信じてもがく水鳥は哀れでしかない。
外敵から身を守り、餌を手に入れることができるなら、孤独な白鳥よりもうらぶれたアヒルでいることを望む。

もうそんな歳になってしまったということだろうか。

2009年6月17日水曜日

永遠の初体験 ~村上春樹作品における性交~

漫画家で永遠の初体験作家といえば田中ユタカだが、村上春樹は純文学における永遠の初体験作家なのではないかと思う。


先日、「1Q84」がヒットしていることに関する記事で内田樹氏のコメントを目にした。

「すぐれた作家の作品を読むと、読者は『どうして私のことを、あなた(=作者)は知っているんですか?』という思いを抱く。それが世界各国の読者に言われるようになれば作家も『世界レベル』ということになる。村上春樹は世界中の人々に共通する原型的な経験を描いているのかもしれない」

村上春樹の作品において、性交は非常に特別な意味をもつ行為である。
それは深い精神の交流であり、同時に限りない喪失である。
そして、ときに世界の在りかたを変える力さえ持つ。


僕が初めて村上作品に触れたのは、小学校高学年か中学生のころだった。
両親はほとんど本を読まない人だったが(本を読む暇もないほど忙しく立ち働いてもいた)、ちょうどそのころ「ノルウェイの森」のブームがあって、そのハードカバーだけは自宅にあったのだ。

「ノルウェイの森」がどのような作品かまったく知らずに読み始めたのだが、子供の僕はその露骨な性描写に唖然とした。
このような卑猥な行為が許されるのかと少し怒りを感じさえした。
吸い込まれるように読み進むのを止めることはできなかったが、僕の中に残ったのはほとんどそのようなショックだけだった。

成長し、ある種の喪失の中にいた自分が再びその作品を手にしたとき、僕は再度ショックを受けることとなった。
このような深い喪失が在り得るのかと。
そこに描かれていた性行為は、どうすることもできない悲しみの一つの形だったのだ。


多くの人々にとって、初めての性交というものはとても私的で稀有な(そして「原型的な」)経験ではないかと思う。
それはかつて、僕たち一人一人の中で世界の在り方を変えるほどの力を持っていた。
そして我々は、村上春樹の作品群を通じてそのような親密な行為を追体験することになるのではないかと僕は考えている。
これが、僕が村上春樹を「永遠の初体験作家」と呼ぶ理由だ。

10年の時を超えて経験した「ノルウェイの森」の衝撃は僕の内的世界に大きな影響を与え、そして村上春樹の作品を夢中で読み漁らせることとなった。
そういった意味において、僕は前出の「喪失」に感謝している。
あの失われた3年間がなければ、今の僕はなかった。

2009年6月16日火曜日

わが家の仲間紹介 その1(シンゴニウム)

観葉植物を育てるうえで一番難しいことはなんでしょう?
それは買ったときの整った形を維持することではないかと思います。

さて、わが家の仲間紹介の第一弾はうちで一番の成長株「シンゴニウム」です。
1年半ほど前に買ってきたときは手のひらサイズのこぢんまりとしたかわいい姿だったのに、その後ぐんぐん成長して今ではこんなんなっちゃいました。

singonium.jpg

高さは右側に写っているバランスWiiボードの2倍以上。1メートルはあります。
葉っぱも巨大で、一枚が僕の手と同じくらい。
ポトスと同じつる植物なのでヘゴで支えてあげないと自立できないくせに、次から次へと新しい葉が伸びてきてもう手がつけられません。
検索して出てくる画像を見ると、もっとつるが短くて葉が密集している感じなんだけど、なぜうちのはこんなににょきにょき伸びてしまうのか。。。

冬の間はさすがに少し大人しくなっていたシンゴニウムですが、暖かい季節を迎えて再び成長が活発になってきました。
あちこちから新芽が出て、1か月に10cmくらいの勢いで伸びています。
あまりにでかくなったので今年の4月に植えかえをしたばかりなのに、もうヘゴの長さが足りなくなりそう。
夏の間にどんだけ伸びるのか、想像するとちょっと怖くなってしまいます。(^^;

2009年6月15日月曜日

僕が美容院に行くようになった理由

引っ越ししたときに困ることは何ですか?

慣れない土地でまごつきながらも、コンビニ → スーパー → 食堂 → 書店 → レンタル店......と少しずつ地歩を広げていく中で、個人的に一番困るのが

新しい「行きつけの床屋」を探すこと

です。
僕は思うのですが、新しい床屋に行くってかなりリスキーですよね。

  • 一度足を踏み入れたら、少なくとも30分程度は店員と顔を突き合わせていなければならない
  • 世間話が好きな(あるいはサービスの一貫として話しかけてくる)店員の場合、相手をするのに疲れる
  • 結果が気に食わなくても、元の髪型に戻すわけにもいかない

そんなわけで、結婚して今の土地に移ってきてからも床屋を探すのに苦労しました。
どの店に入ればいいのか決心がつかず、雨の降るなか1時間以上も近所をさまよったこと。
カット1500円くらいの安い店に行ったらひどくおざなりな仕事をされて、帰宅してから目立つ場所を相方に切りなおしてもらったこと。
あきらめて普通の価格の店に行って、「暑くなってきたので襟足は短めにしてください」と言ったら、いつの間にか坊ちゃん刈りにされていたこと。

何度もの失望を経験して、僕は一つの結論に達しました。

「これはもう美容院に行くしかない」


美容院って女性が行く場所のイメージだし、なんか外から丸見えだし、上を向いてシャンプーされるし、オシャレなスタイリストさんと何を話していいか分からないし、「今日はどうしますか?」と聞かれてもどう答えていいのかわからないけど、かといってイケメン揃いのヘアカタログを見て「こんな感じにしてください」というのもなんか恥ずかしいし、とまぁ、半分偏見なんでしょうけどとにかくすごく抵抗があったんです。
しかし状況は四面楚歌。
前門の虎、後門の狼。
「いいかげんに髪を切ってこい!」と怒鳴る相方。
ここまで追い詰められたら、もう腹を決めて美容院の門を叩くしかない。。。

とまぁそんなわけで、勇気を振り絞って美容院に行ってみることにしたわけです。
自宅近くの美容院の中で(世の中には実に多くの美容院があった)、オシャレ過ぎない雰囲気で安く切ってくれるお店があったので覚悟を決めてカットを予約。
冷たい汗をかきながら緊張してお店に行きました。

席に通されると、お店の店長らしき人が切ってくれることに。
黄色くメッシュに染めたロングヘアを立ち上げて後ろに流した髪型の、いかにも「スタイリスト」って感じのいでたちに、「うわーどうしよう、こんな人相手に何を話せばいいんだろう......」と焦る僕。
そんな僕を尻目に「今日はどうしますか?」と聞く店長。
そもそも自分のヘアスタイルのイメージを持っていない僕は、とりあえず「えーと、全体的に短くしてください」と曖昧に答えます。

さて、ここからが問題だ。
カットが終わるまでの間、このオシャレ店長とどんな会話を繰り広げればいいのか。
とりあえず天気の話題でも振っておこうか?
それともサービスのプロである向こうから話を振ってくれるのを待てばいいのか?
冷や汗をかいた僕の額に、カットした髪の毛がへばりつきます。

いつオシャレ店長にネタを振られるかとヒヤヒヤしている僕。
それに対して、オシャレ店長はというと、

無言。

必要なことを聞いた後は、特に何も言わずにてきぱきと髪を切っていきます。

...。
......。
.........。

しばらくたって、僕はやっと気づきました。

「あぁ、これってアリなんだ!」

美容院って、切ってもらっている間なんだかんだと世間話しなきゃいけない勝手なイメージがあったけど、無理に話しなくてもいいんだ。
考えてみれば、美容院に来る人みんな話好きなわけじゃないだろうし、人見知りの人もいるだろうし、僕と同じように静かに髪を切ってほしい人もいるよね。
それが分かった瞬間、気分がだいぶ楽になりました。
自分はいったい何をそんなに怖がっていたんだろう。。。


そんなこんなで美容院で髪を切ってもらうようになり、変な髪型にされることもなくなりました。
床屋に行くのが嫌で髪の毛が伸びたまま放置することもなくなったし、ワックスで髪型をアレンジすることも教えてもらいました。
先日久しぶりに結婚式のときの写真を見る機会があったのですが、あの頃に比べると髪型に関してはだいぶマシになったなぁ~としみじみ思います。
こんなんだったら、もっと早く20代のうちから美容院に行っておけば良かったですねぇ。

脱オタクファッションガイドという有名なサイトがあって書籍も出ているのですが、このサイトの中でも「美容院に行く」ことが強く勧められていた理由が良くわかりました。
顔は変えられませんが、髪型なら変えられます。
髪の毛に気を遣うことでスタイルに関する自意識と自信が生まれ、服装にも気を遣うようになり、ファッションに対する良い意味でのスパイラルに入ることができるわけです。
(僕はいまだにファッションに関しては無頓着ですが。。。)

この日記を見ず知らずの人が見ることはあまりないと思いますが、もし「脱オタファッションガイド」を見て美容院に行くか迷っているなら、「失敗しても死にはしない」と思って一度行ってみることをお勧めしたいと思います。
30過ぎてから美容院デビューした僕は手遅れ感が多々ありますが、20歳くらいの頃にヘアスタイルに気を遣うようになっていれば、ファッションに関してももうちょっとマシになっていたかもしれないもんねぇ。

時と場合によってはファッションが人生を左右することもあるわけで、オシャレをすることに対してポジティブな考え方ができるようになるのは決して悪いことじゃないと今更ながら思うわけです。
人生をいろいろ決めちゃったあとの僕にはもう手遅れだけどね(笑)。

2009年6月14日日曜日

村上春樹のノーベル文学賞受賞について

去年も一時期騒ぎのあった村上春樹のノーベル文学賞受賞の可能性ですが、今作「1Q84」を出したことで受賞はもう確実になったと思っています。
早ければ今年ということもあり得ますが、「1Q84」の英訳後となる来年から再来年あたりが本命ではないでしょうか。
村上春樹の作品は、日本という舞台や文化に縛られない普遍性が海外での高い評価につながっているのだと思いますが、「アフターダーク」ほどではないにせよ「1Q84」はヤマギシ会やオウム、日本赤軍など日本固有の背景が直接的なメタファーとして用いられれているため、そのへんを理解してもらえるように翻訳するのはなかなか大変な作業になるかもしれませんが。

ところで、ノーベル賞には化学賞・物理学賞はありますが、数学賞はないということをご存じですか?
この理由には諸説あるようですが、興味のある方はWikipediaを見ていただくとして、数学の分野でノーベル賞に相当するものが何かというとそれはフィールズ賞です。
ただし、ノーベル賞が比較的年配の方に与えられるのに対して(背景としては、理論物理学や分子生物学などの分野では、理論予測が実証されるまでに時間がかかるということもあるのでしょう)、フィールズ賞は40歳以下の若手研究者が対象となっているという違いがあります。
数学の世界は、実証のために実験物理学分野の発展を待ったりする必要がないからなのでしょうが、受賞の期限が決められているということは、トップレベルの研究者にとってのプレッシャーは相当なものでしょうね。

翻って自分のことを考えてみると、40歳までの残り時間は本当にあっという間に減り続けています。
すでに人生の中間地点にあって、いったい自分は何を成し遂げることができるのだろう?

カーネギーは「道は開ける」の中で「今日一日のことだけを考え、その中で精一杯生きることが重要だ」と説いています。
進むべき方向が見えていれば日暮れまで力を振り絞って歩き続けることもできるかもしれませんが、どちらに向かえばいいのかわからない状況ではそれもままなりません。
一日中歩き回った結果、結局スタート地点に戻っていたということもあり得るわけですから。。。

そう考えると、何を人生の目標にするか決められるかどうかということが、よりよく生きられるか否かに大きく影響するのかもしれないですね。
「受賞」することができるかどうかはともかくとして、「自分自身のゴール」を定めることが僕にとって当面のテーマになりそうです。

2009年6月13日土曜日

叙々苑に行ってみたい

焼肉と言えば叙々苑
田舎に住んでいたころはその名前すら知らなかったけれど、関東では「高級焼肉と言えば叙々苑」という代名詞的存在である。
しかし、上京して10年近くなろうとしている今でもまだ行ったことがない。
店舗によってメニューの値段が異なるようだが、カルビ1人前1800~2000円という価格設定は気軽に行ってみるには敷居が高い。

幸いにも、焼き肉屋といえば先日も紹介したしげ吉というコストパフォーマンス抜群のお店を見つけることが出来たのだが(カルビ・ロース790円というお手頃な価格だが、肉のグレードはさることながら、カット・味付けなども含め、そんじょそこらのお店とは比較にならないほどクオリティが高い肉が食べられる)、そこははやり人間の性。
よりグレードの高いお店の味がどんなものか、一度は試してみたいと思ってしまう。

ちなみに、会社のレクリエーションで何度も叙々苑に行っている相方に言わせると、「値段相応でハズレはないけど、一度しげ吉で食べてしまうとわざわざ叙々苑に行かなくてもいいと思ってしまう」とのこと。
(なお、誤解のないように言っておくと、この「レクリエーション」は組合費という形で毎月給料から徴収されている金額が原資となっているので、要は自腹。相方がそんなバブリーな会社で働いているわけではない)

もうすぐ定額給付金が手元に入る予定なのだが、焼き肉にぱっと使ってしまうべきなのかどうか悩みどころである。
試しにロースだけ頼んで様子を見てみる、というのは。。。さすがにセコイよなぁ。
会社の近くにもあるので、とりあえずランチを食べに行ってみようかな。

2009年6月12日金曜日

復帰戦

音楽を続けるべきか迷っていた相方が、ようやく楽団への復帰を決めました。
先日、演奏会を聴きに行った楽団です。
あの難しそうな課題曲&自由曲をやるのかー、大変だなぁ。

相方は自分の日記で「音楽をやらなくなってから、僕に『輝きがなくなった』と思われた」と書いていましたが、そりゃ休みの日に一日中ゴロゴロしてTVとネットを見て過ごしている姿を見ればそう思いたくもなるってもんです。
文句ばかり言いながらも、コンクールという目標に向かって練習に通っている姿は、部外者からすると何気にうらやましかったりするんだから、やるからには頑張れ!
応援(だけは)してるぞ~。


やれやれ、これで僕も相方を気にせずに夏場のサイクリングに出かけられるな(笑)。

2009年6月11日木曜日

家を買うべきなのか

景気が底を打ったといわれる今日この頃。
不動産価格が下落し、長期金利も割安になっている今のうちにマイホームを購入するべきなのか悩みどころです。
いくつかモデルルームを見に行き、住宅ローンのシミュレーションなどもやってみましたが、なかなか結論は出ません。

長い目で見ると(長生きできたとして)賃貸よりも購入した方がお得という記事もよく見かけるし、住宅自体のグレードも賃貸よりは分譲マンションや戸建ての方がずっと高い。
今のまま相方と共働きを続けることができるなら、という注釈つきではあるものの、神奈川県内だと最低4000万円という住宅の価格も決して払えない金額ではないのも事実です。
(家賃を何十年も払っていれば結局同程度の支出になるというだけで、うちが特に裕福なわけではないです。。。)

「じゃあ何が問題なのか」と自問するに、ようは僕自身がマイホームを人生の目標とするようなタイプじゃないということなのだと思います。
本やマンガ・CDなどのメディアの所有欲はそれなりにありますが、モノが「不動産」となると対象が大きすぎて自分のマスには収まりきれない、というのが正直なところです。

そしてもうひとつの問題は、自分の人生がひとところに縛り付けられるということの怖さ。
「帰るところがある」ということを安心ととるのか、重圧ととるのか。
この二面性に翻弄されてしまうわけです。
就職をきっかけに上京してはや10年近くになろうとしていますが、いまだにこの都市を新たな故郷として思い描くことができない。
「自分の本来の居場所はどこかほかの所にあるんじゃないだろうか」というもやもやとした思いがまだ頑固に頭の中に居座っているのです。

こういったふらふらした性格は、僕が転職経験者だという面にも表れているのかもしれません。
思い返してみれば、学生時代から「一つの会社で定年まで勤め上げる」という考えが希薄でした。
卒業という形で「学生時代」から押し出されたために、しかたなく便宜的に社会人という仮の身分をまとっただけという思いは、とうに30を過ぎた今でもあまり変わっていない気がします。
僕にとって未来というものはあまりにも不確かでとりとめがなく、その脆く脆弱な地盤は僕の足元にまで広がっているのです。

それだけ自分自身の座標を定めることを恐れる僕が、結婚という一大決心をしてしまったというのは、今更ながらずいぶん不思議なことのような気がします。
義理の両親をはじめとする様々な人間関係は、不動産なんかよりももっと強固に人生を規定してしまうように感じるのですが。。。

思うに、それはきっと結婚にまつわるもろもろの物事がきちんと定量化されていないからなんでしょう。
結婚するにあたり「義理の両親の面倒を観るための工数」などをきちんと見積もりしていたら、こんな無謀なプロジェクトを開始してデスマーチの毎日を過ごすなんてありえないですから(笑)。

2009年6月10日水曜日

Amazonマーケットプレイスで海外からCDを買ってみた

バッハの「平均律クラヴィーア曲集」を買おうと思ってAmazonを覗いてみたのだけれど、国内盤の全曲集(第1巻と第2巻)だと最低でも5000円以上、バッハの演奏者として著名なグレン・グールドの演奏だと2巻合計で9000円という値段をみて躊躇してしまいました。

でも、グールドの「平均律」の演奏は、あの宇宙船ボイジャー1号・2号に宇宙人へのメッセージとして搭載された「ゴールデンレコード」にも録音されているというほど、その文化的価値を評価された傑作。
クラシックに明るくない僕でも一度は聴いてみたい音楽なわけです。

そんなとき、ふと思い出したのが輸入盤の存在。
輸入盤を指定して検索してみると、なんとこれが非常に安い!
Amazonの価格で2巻合計5000円弱。
国内盤ってライナーノーツを日本語化しただけなのに、この価格差はいったいどういうこと?(^^;
洋楽のようにボーナストラックがあるならまだしも、クラシックにそんなものないし。。。

「これならいいか」と思ってそのまま購入しようかと思ったのですが、試しにAmazonマーケットプレイスを覗いてみると、なんと新品にも関わらず合計2600円という値段で出品しているimportcds_comというショップを発見。
マーケットプレイスの送料をプラスしても、これはだいぶお得です。
ショップのコメントを読むと「カリフォルニアから発送」と書いてあり、海外との取引になるのでちょっと心配だったのですが、ここは試しに思い切って発注してみることにしました。

bach.jpg

ショップから発送完了のメールが届いたのが3日後。
「これでとりあえず一安心か」と思ったものの、第1巻と第2巻の2枚注文したはずなのに、メールには1枚分の発送についてしか書かれていません。
「複数の注文は個別に発送」と書かれていたので、「在庫の関係かな?」と思いつつもう少し待ってみることに。

そして今日、メールから5日後(注文から8日後)にエアメイルの荷物が到着!

bach2.jpg

厚さからみてCDが2枚入っているのかな? と期待して開封してみると。。。

bach3.jpg

中身は2枚組CDが1つきり。。。
それも第2巻の方が先に来ちゃいました。
(別に平均律クラヴィーアはどこから聞いてもかまわない楽曲なのですが)

仕方ないので、さきほどimportcds_comのカスタマーサポートに確認のメールを送ってみました。
日本語で問い合わせOKということでしたが、大丈夫かなぁ~。
進捗があったらまたレポートしたいと思います。

2009年6月9日火曜日

1984年と「シンフォニエッタ」

「1Q84」では、ヤナーチェクの「シンフォニエッタ」という曲が重要なモチーフとして多用されているのですが、1984年とシンフォニエッタのつながりを偶然発見しました。

1984年度の全日本吹奏楽コンクールの課題曲の一つが「シンフォニエッタ」なのです。
("ヤナーチェクの" シンフォニエッタではありませんが)
これって偶然?
にしてはでき過ぎですよね。。。
村上春樹がそこまで考えてモチーフを選んでいたとしたらすごいですね。

sinfonietta

話はヤナーチェクのシンフォニエッタに戻りますが、冒頭部分はAmazonの試聴などでも聞くことができます。
金管楽器とティンパニが奏でる華やかなファンファーレは、オーケストラというよりも吹奏楽の曲のような印象ですね。
先日吹奏楽団のコンサートに行ったからというわけではないですが、なんとなく興味が湧いたので、作中でも触れられているジョージ・セル指揮のシンフォニエッタを注文してみました。
そういえば、少し前にあった1Q84の増刷騒動の記事で、ソニーミュージックがこのCDを増産することにしたということも報道されてたっけ。

ミーハーと言えばそのとおりなのですが、こういうきっかけを利用して自分の世界を広げていくのも悪くないかな、と思っています。

2009年6月8日月曜日

暴力について

「1Q84」もそうだけれど、近年の村上春樹の長編作品は「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」「アフターダーク」と続けて、暴力に関する描写が主要なテーマになっている。
一言に「暴力」といっても、それはけちなこそ泥のようにちんけなものではない。
小さな渦巻きが巨大な竜巻へと成長し、大地を蹂躙しつくしてそしてまたどこかへと消えていく様を目の当たりにしたかのように、やるせなく、無力感に襲われるほどの圧倒的な暴力だ。
それは時に戦争であり、殺人であり、レイプである。
肉が裂け、骨が砕ける音が聞こえるような、本物の血が流れる本物の暴力である。
そして多くの場合、そこに明確な救いはない。

どうしてだろう?

オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こったのは1995年3月20日。
今から14年も前のことだ。
当時あれほど騒がれ、90年代の一つのシンボルともなったあの事件ですら風化して久しい(村上春樹が事件の被害者に対して行ったインタビューが「アンダーグラウンド」として、元信者に対して行ったインタビューが「約束された場所で」にまとめられている)。

そして秋葉原の無差別殺傷事件が発生したのが2008年6月8日。
ちょうど1年前の今日である。
負傷者の数こそ大きく違えども(そして被害者の多寡を単純に比較することはもちろんできないのだけれど)、地下鉄サリン事件の死者12人に対して、秋葉原無差別殺傷事件の死者は7人と、その半数を超えているという事実がある。
地下鉄サリン事件が、多くのメンバーを擁したカルトによって、5人もの実行犯と化学兵器を用いて引き起こされたものであることを考えると、一人の人間の手足によって実行された秋葉原の事件の異様さが(そして暴力性が)際立って見えてくる。
小説世界だけでなく、この現実の世界においてもそのような圧倒的な暴力に対処する方法は、未だ見出すことができないでいるようだ。

人々が、その集団が、そして国家が振り下ろす暴力という「形のない悪夢」に対して、僕たち個人は、コミュニティは、そして日本という国家はどのように対抗していけばよいのだろうか。
答えのないその問いに、深い物思いに沈まされる一日だった。

road.jpg

2009年6月7日日曜日

疲れが溜まっていたのかな?

今朝は9時半過ぎにのんびり起きたのですが、朝食を食べたあと急激な眠気に襲われて、そのまま夕方までベッドでうつらうつらしながら過ごしてしまいました。
なんかあっという間に一日が終わってしまった感じ。。。

そんな風に僕が昼寝している間、相方は初めての梅酒漬けにチャレンジしていました。
梅酒と言えば、子供のころ婆ちゃんが漬けた梅酒が大好きだったことを思い出します。
まだ小学生くらいのうちから酒好きの才能は発揮していたみたいですね。

umesyu.jpg

我が家の梅酒もおいしく漬かることを期待して食品庫にしまいました。
試飲してみるのは3か月後くらいかな?

umesyu2.jpg

2009年6月6日土曜日

演奏会に行ってきました

相方のつてで、某吹奏楽団の演奏会を聴きに杉並公会堂に行ってきました。

suginami.jpg

相方に連れて行かれたのでしぶしぶ行きましたが、正直なところ素人の僕にはアマチュアの吹奏楽団の演奏というのは中途半端で退屈です。(^^;
内輪ネタまでわかるほど知識もないし、かといってプロフェッショナルな感動を得られるわけでもないし。
たとえて言うならば、僕がマラソンを走っているところに応援しに来てもらっても、皆さん何ら楽しくないのと同じです。
市民マラソンの世界ではサブフォーってそれなりの「達成」なのですが、一度もマラソンを走ったことない人はどれだけ価値があるものなのか全然わからないですよね?
それと一緒です。。。

suginami2.jpg

2009年度の全国吹奏楽コンクールの課題曲(の一つ)も聴きましたが、相変わらず僕は聞いていてどこが楽しいのかよくわからないテクニカルな曲でした。
今日聴きに行ったバンドはこういうテクニカルな曲を好む傾向があるのですが、専門的な知識がある人やコンクールで採点する人はともかく、僕みたいな素人にとってはキャッチーな旋律がない曲は聞いててしんどいです。
アンコールになってから、ゲストのプロフェッショナルな演奏を聴くことができたのがまだしも救いでした。(^^;


と、まぁそんなこんなと文句をいいつつも、スポットライトの下で人々から拍手を送られるバンドの人たちをうらやましく思う気持ちもあったりするわけです。
普通の人がそんなステージに立てるのは結婚式のときくらいですよね?
最近相方が音楽活動を続けるべきか迷っていますが、そういう意味では可能な限り続けた方がいいんじゃないかなと思ったり。

そんな自分が「来年もまたマラソンを走るか」と聞かれたら、「ちょっとまだわかんないっす」と答えたりするんですけど。(^^;

2009年6月5日金曜日

現実的であることのデザイン

建前というものが嫌いな僕にとって、会社の仕事というのは時として非常にかったるいものであったりする。

たとえ必要な範囲の90%しかカバーできないのだとしても、僕は仕事をできる限りシンプルで美しくデザインしたい。
100%には決してたどり着けない以上、僕はエレガントに90%を手に入れたいのだ。
煩雑なルールや例外は結果として誤りや漏れを発生させるだけで、残りの10%を得ようとするたいていの試みは不毛なものに終わる。
それはまるで、ほとんど誰も使おうとしない機能のためにiPodにあと一つスイッチを追加しようとしているようなものだ。
それは美しいデザインを損ない、エレガントさを失わせる。

そしてたいていの場合、スイッチが多いほど機能が多くて製品が素晴らしくなると思い込んでいるのは、いまだにありがたがってレコードを収集しているようなオヤジなのだ。
そんな連中に、ポータブルオーディオのデザインに関する議論に参加してもらいたいと思う人がいるだろうか?
ああどうか、醜いルールやら例外やらを僕の仕事に持ち込まないでくれ!
アルバムのA面とB面の再生を切り替えるスイッチだって?
そんなスイッチ誰も押しやしないよ!!

2009年6月4日木曜日

夢の話

今朝見た夢の話。
夢って覚えていると誰かに話したくなりませんか?


うちの相方は吹奏楽をやっているわけですが、夢の中でなぜか僕も一緒にステージに立つことになりました。
とはいえ、僕は楽器なんてろくに練習したこともありません。
当然夢の中の僕もまったくステージに立つ準備などしていないのですが、相方は「いやー大丈夫だよ」と勝手なことを言って僕を追いたてます。
そう、なぜか気がつくと僕はもう舞台の袖にいるのです。

ステージに立つといっても、衣装はタキシードなんかではありません。
なぜかみんな動物の着ぐるみを着ているのです。
僕はカエルかなにか、緑色の着ぐるみを着せられます。
僕が着ぐるみを着おえると、相方は唐突に「お前の楽器はマリンバだよ」と言って僕を木琴の前に連れて行きます。

つやつやとした長短の木の板が整然と並んだおなじみの楽器の前に立たせられる僕ですが、多くの人々がそうであるように木琴など演奏したことは人生の中で一度もありません。
「いや、そんなこと言われてもできないよ」と焦る僕をそっちのけに、相方は自分の持ち場に行ってしまいます。

もうすぐ幕が開く。
どうしよう。
とにかく演奏の準備をしなきゃ。
無意識にマリンバのマレットを手にするも、そのまま頭が真っ白になる僕。
なんでこんな目にあわなきゃならないんだ?
音楽がやりたきゃ止めないから勝手にやれよ。
打ち上げで盛り上がって朝まで帰ってこなくても別にいいよ。
欲しいっていってたクラリネット、自分のボーナスなんだから勝手に買えばいいじゃん。
そもそもどんな曲目を演奏するのかもわからないのに、僕に何をしろっていうんだ!?


半分キレながら目が覚めると、時刻は8時半。
会社にばっちり遅刻しました(フレックスタイムだから正確にいうと遅刻ではないけど)。
遅刻してまで見るほど楽しい夢ではなかったことを思うと、妙に悔しさの残る一日でした。。。

2009年6月3日水曜日

村上春樹作品における小便シーンの研究4

1Q84」新潮社 BOOK1 p.65

 彼女はホテルに入ると、まっすぐ洗面所に行った。ありがたいことに洗面所には誰もいなかった。まず便座に座って放尿をした。とても長い放尿だった。青豆は目を閉じて何を思うともなく、遠い潮騒に耳を澄ませるように自分の放尿の音を聞いていた。


最新作、1Q84でももちろん小便シーンは健在です。
20代の女性である「青豆」が、たとえ誰もいないとしても水を流さずに(または流水音を鳴らさずに)長々と放尿するものかなぁと思いはしましたが、ここでそんなことを考えるのは無粋というもんでしょうか。

これから始まる物語の大いなる予感をはらんだ潮騒のざわめき。
小便を終えたとき、彼女は運命の場所に向かい、そして世界は変容するのです。

2009年6月2日火曜日

脱力

村上春樹「1Q84」読了。
本当は昨日書こうと思っていたエントリだが、空き巣騒ぎでそれどころではなくなってしまったので翌日に延期となった。

大きな物語の中に深く潜り込んでいたせいで、本を閉じた後も現実との接点がうまく見つけ出せず、眩暈のようなふらつきを感じながら駅から自宅までの道を歩いたのをおぼえている。
その脈動は、今でも月のない静かな夜の浜辺に打ち寄せるさざ波のように続いている。

先日書いた「BOOK 3」以降が出る可能性についてはmixiのコミュでも盛んに議論されているし、読了直後は僕も「ここで終わらないでほしい」と思ったが、ある程度時間が過ぎてから思い返してみると「ここで終わるのもありかもしれない」という気持ちもしてきた。
確かに様々な伏線が未消化のままではあるが、単にこれらの伏線を回収するだけのストーリーでは、物語としての力が不足してしまう気がするからだ。
作中に登場する「空気さなぎ」に関する書評(BOOK2 p.123)のように、様々な物事が「ミステリアスな疑問符のプールの中に取り残されたまま」になっているわけだが、「あるいはそれこそが著者の意図したことなのかもしれない」。

いずれにせよ、村上春樹自身が「何度読んでも新しい発見があるような物語を目指している」と言っているし、この作品は再読に値するものだと思う。
少し休憩したら、お気に入りのフレーズに付箋を貼りながらのんびり再読してみようと思っている。

2009年6月1日月曜日

空き巣に入られた!

相方と一緒に9時ころ帰宅。
玄関ドアの鍵は普通にかかっていたが、中に入るとなんとなく違和感が。
後から思い返せば、窓が開いていたせいでいつも以上に外の物音が聞こえていたせいかもしれない。

なぜか、ドアの敷居にかけていた洗濯物が床に落ちている。
「ん? なんだ?」と思いながら居間の隣の部屋をのぞくと、机の引き出しがあけられ、中身が机の上に放り出されていた。

やられた! 空き巣だ!!

窓を調べると、ベランダに面したガラス戸が半開きになっている。
クレセント錠付近には細い棒でガラスを突き破った跡があった。

akisu.jpg

実はうちのアパートは隣の部屋も2年半前に空き巣の被害に逢っているいわくつきの物件なのだが、まさかうちの部屋までやられるとは。。。
うちの部屋のベランダは外の小道から結構丸見えなので、心理的に狙われにくそうだと思い、油断して雨戸のシャッターを下ろしていなかったのがいけなかった。
せめてガラス戸の下にあるダブルロックだけでもしておけば良かった、と思っても後の祭り。
お隣さんは奥さんと子供がずっと在宅していたそうだが、それにも関わらず侵入したとは完全にプロの仕業だ。

現金は自宅に置かないようにしているので、通帳や印鑑の類と、デジカメやノートPC・指輪など金目のものが盗まれていないかチェックしたが、特に無くなっているものはないようだ。
完全に現金だけ狙った犯行らしい。
不幸中の幸いということだろうか。。。

それだけチェックした後110番。ついでに大家さんにも連絡。
20分ほどして最初に派出所勤務の二人組が、続いて県警と思われる三人がやってきた。
派出所勤務の二人はおもに聴取と被害届けなどの文書作成、指紋や足跡の鑑識作業は県警という感じで役割分担しているようだ。
そういえば、全然事件とは関係ないが、聴取を担当した派出所勤務の警察官がブラックロディアのノートを持ってて意外な気がした(笑)。

ベランダからの侵入経路や足跡などを調べ実際に足跡の採取もしていたが、いまどきのプロが指紋を残すはずもなく(滑り止め付き軍手の痕跡があった)、まぁ当てにはできないが仕方ない。
盗まれているものは思いつかないが(罪状も単なる住居侵入になる)、一応被害届を出した(「被害届」という形にせず、単に警察に事実を報告しただけという形にすることもできるらしい)。

割れたガラスを交換しなきゃならないし、明日は会社を休んで朝から不動産会社に連絡したり対処せんといかんな~。
たぶん割られたガラス以外の被害はないが、やはり精神的なショックというか気持ち悪さが大きい。
(隣の旦那さんも「当時は引っ越そうかと思った」と言っていた)
とりあえず防犯のための自衛はしなければならないとして、引っ越すという選択はなぁ。。。
面倒だしお金もかかるし、どうしたもんか。