2009年7月31日金曜日

太陽のリング

だいぶ遅くなりましたが、2009年7月22日の日食はみなさん見れましたか?
僕も会社の駐車場に出て空を眺めました。
東京の天気は一面の曇り空でほとんど太陽は見えませんでしたが、それでも一瞬雲の切れ間から三日月のように欠けた太陽を眺めることができました。

社内に戻ると、ちょうどNHKが生中継をしていたので、会社のロビーのTVでダイヤモンドリングを眺めました。
皆既日食の最中って、夕方のように周囲が暗くなるんですね~。
すごい。
一度生で見てみたいものです。

こちらは太平洋上からの中継映像。

そしてこちらが硫黄島からの中継映像。
プロミネンスの姿がきれいに映っています。

日食って滅多にない天体ショーのイメージがありますが、実際は日本で観測できる機会が少ないだけで、太陽と月の軌道が交差するタイミングは1年に2~3回あります。(詳細はWikipedia:日食参照)
今回、トカラ列島付近へのツアーはインフラ設備への投資などで最低でも30万くらい費用がかかったそうなので、本気で見たければ海外まで見に行っても費用はあまり変わらないんじゃないでしょうか。
2035年には本州で皆既日食を観測できるそうなので、それまで待つか海外に行くか。。。
2010年にイースター島や南米で見られる皆既日食はちょっと行くのが大変そうなので、2012年にオーストラリアで見られる皆既日食あたりが良さそうですね。

と、ここまで皆既日食の話をしてきたわけですが、日食にはもうひとつ金環日食というものがあるのをご存じですか?
これは月の軌道が地球から遠い時に発生する日食で、月の見かけ上の大きさが小さいために太陽が完全に隠れず、月の周囲にリング状に太陽が見えるというもの。
この金環日食が2012年5月21日に日本で見られるのです。

この話、どこかで聴いたことありませんか?

そう!
ドリカムの「時間旅行」という曲で歌われている「2012年の金環食」というのがこれです。
「時間旅行」が収録されているアルバム「WONDER 3」が発売されたのは1990年ですから、あれから20年を経てもう少しでついにその日がやってくるわけです。(^^
こちらのページを見ていただくと良くわかりますが、まさに関東周辺が食の中心。
見事な「太陽のリング」が見えます。
時刻も朝の7時半なので、仕事に出かける前に上りながら欠けていく太陽を眺めることができるはず。
ドリカムファンとしては、今回の皆既日食よりも楽しみなイベントです。

日本の金環食といい、オーストラリアの皆既日食といい、2012年は天体ショーが楽しみな年になりそうですね。

2009年7月30日木曜日

種が割れた

アボカド栽培36日目。

前回薄皮に亀裂が入りはじめて以来目立った変化のなかったアボカドですが、ついに種自体に亀裂が入りました!

avocado2.jpg

この割れ目から根が出てくるはず。
いったん発芽すれば成長が早いらしいので、根が出てくれば毎日変化を楽しめそうです。
今年の夏のうちに鉢植えにできるかな~。

2009年7月28日火曜日

歳をとったことを実感した

世間はドラクエIXで盛り上がっていますが、僕は土曜日に聖に借りたドラクエVにハマっています。
ちなみに、最初相方にやらせたところ何が面白いのか全く分からなかったみたいです。
結局、主人公の名前は相方のまま、僕が攻略を進めることになりました(笑)。

で、ルーラを覚えるあたりまで進めたのですが、そこでショッキングな体験をしました。

街の名前を覚えていないのです。

一個や二個くらいならなんとなくわかる場所もあるのですが、ほとんどの地名を覚えていませんでした。
なので、片っぱしからルーラで飛んでみないと目的の場所にたどり着けない始末。
子供のころ、ルーラの飛び先に迷ったことなんて無かったのに。。。

やっぱこれも歳のせい?
記憶力が衰えているのか、先を急ぐあまりストーリーに没頭できていないのか。
なんか複雑な気持ちです。

2009年7月25日土曜日

おいけん結婚お祝いパーティ

先日結婚したおいけん夫妻の結婚お祝いパーティを開催しました。

cake.jpg

主催のヨシワラ夫妻の計らいのおかげで、素敵なウェディングケーキ入刀のセレモニーができました。
忙しいところ、いろいろと動いてもらったヨシワラに感謝!


今日のパーティのメインは餃子。
見事な連携プレイで100個の餃子と肉団子入りスープを仕上げました。

gyouza.jpg

手作り餃子をつつきながら飲むビールは格別でしたね。

gyouza2.jpg

おいけん夫妻、末永くお幸せに!
そしてこれからもよろしく。(^^

2009年7月24日金曜日

初体験

はじめにお断りしておきますが、汚い話です。
食事中の方はご注意を。

今飲んでいる薬の副作用に便秘というのがあるのですが、普段から便秘ぎみの僕の体質と相まって最近ひどいことになっています。
上から食物が押し込まれてくるので仕方なく、というように、1週間に1回程度まさに「石のように硬い」という表現がぴったりのものが出てくる程度しか排便がありません。
それでも先週末くらいまでは、尻の穴が裂けそうになりつつもなんとか正常に排便できていたのですが、今日はまさに未体験のゾーンに突入してしまいました。

昼休みに入る頃に久々の便意を感じたのでトイレに行ったのですが、いくら気張っても中身が出てきません。
10分ほど頑張ってみても全く駄目。
あまりにも硬くなった便が、肛門を通過できずに直腸の中で詰まってしまっているのです。
少しでも肛門から便が顔を出してくれれば、力ずくでちょん切って少しずつ排便することも可能なのですが、大きな塊になってしまっているらしくそれが不可能。
かといって、指でもつっこんでほぐすというわけにもいきません(当り前)。

しばらく思案したあげく、僕はついに最終手段に打って出ることにしました。
トイレットペーパーを手に持ち、踏ん張って肛門からわずかに顔を出した便をつかみとる作戦です。

括約筋で肛門を締めると便が直腸内に戻ってしまうので、括約筋をゆるめて便を出口付近に誘導したままの状態で、指の力で肛門を外から押さえてつけて便をちぎり取ろうというわけ。
イチかバチかの作戦でしたが、これが大正解!
今まで梃子でも動かなかった便を分解して引っ張り出すことができたので、その後はなんとかスムーズに排便できました。

便秘歴は長い僕ですが、自力では排便できない状態まで固くなってしまうというのは生まれて初めての体験。
初めて便を握りしめた感触は、小学校時代に触った油粘土のように稠密でリアルでした。
次もこんな状態になるのはまっぴらごめんなので、こりゃ便秘薬とか飲むようにしないとダメだなぁ。
今度病院に行った時は絶対下剤を処方してもらおう。。。

2009年7月21日火曜日

雨傘で特許

普通の雨傘と折り畳み傘、どちらが好きでしょうか?
街中で突然カメラを向けられてこんな質問をされたら、しばし返答に窮してしまうかもしれない。

折り畳み傘というものはひどい自己矛盾を内包した存在ではなかろうか。
雨が降っていないとき、折り畳み傘は携帯に便利である。
なんといっても鞄の中に収まるのが良い。
これは「持ち歩かなくてもよい」という利点はもちろんのこと、おりしも突然天気が良くなってきたようなときに、向こうからやってきた女の子に「こんな天気がいい時に傘なんか持っちゃって、無粋な人ねぇ」などと思われずに済むということでもある。
要するに、傘が必要ない時は手ぶらで颯爽と歩きつつ、いざ雨が降ってきたときにはさっと取り出して雨を避けるスマートさが良いのである。

しかし、雨に濡れた折り畳み傘というのは厄介なものである。
ちょっと閉じただけでは場所をとって邪魔だし、折りたたもうとすると手がびしょびしょになるし、店頭にある使い捨ての雨傘袋にも入れにくい。
いざ折りたたんでも濡れたまま鞄の中にしまうわけにも行かないし、普通の雨傘のように取っ手のフックがないので、いざ電車に乗ったときにも鞄の肩紐やポケットにひっかけてぶら下げることができず、常に手に持っていなければならない。
つまり、片手で本を持ち、片手でつり革につかまるというスタイルがとれないのである。
それに比べると、普通の傘の方がさっと開け、さっと閉じることができる上に、そのへんにちょっとひっかけておくことができるだけ便利である。

要するに、折り畳み傘というものは雨が降っていないときは本質的には不要であり、雨が降ってくると本質的には邪魔になるのである。
これは大いなる矛盾ではなかろうか。
そんなわけで、家を出るときいつもどちらの傘を持って出るか迷うのだ。
もう雨が降っているなら普通の傘を持てばよいわけだが、降るかどうかわからないのに普通の傘をぶらぶらと持ち歩くのも無粋である。
かといって、折りたたみ傘には実際に雨が降ってくると邪魔になるという、すでに述べたような矛盾が存在するのだ。

考えてみれば、なぜ折り畳み傘のカバーをジップロックのようなビニールにして、濡れた傘を入れてもそのまま鞄の中に入れられるようにしないのだろう?
ついでにビニールの端に普通の傘の柄のようなフックを付けて、そのへんに引っかけられるようにするとなお良いかもしれない。
おぉ、なんかこのビニールの折り畳み傘袋で特許をとればちょっとした収入になるかもしれない気がしてきた。
その特許出願が異常に面倒くさいのでとてもやる気がしないわけだが。。。

2009年7月19日日曜日

「ダーク・タワー」シリーズに着手

連休中特に予定もないし、一人で出かけるのも億劫なので暇つぶしに読書にいそしんでみることにしました。
ターゲットは3年ほど積読状態だった、スティーブン・キングの「ダーク・タワー」シリーズです。

もともと長い小説の多いスティーブン・キングですが、ライフワークといえるこの「ダーク・タワー」シリーズは文庫で全16冊。
450ページ平均として計算すると全部で7200ページもある大著です。
グインサーガや大菩薩峠には及びませんが、かなり覚悟がないと読めない量ですね(笑)。
(ちなみに世界最長の長編小説と言われているのは非現実の王国で

とりあえず、土日かけて第二部までの3冊を読みました。
金曜日の夜から伊坂幸太郎の「重力ピエロ」を読んでいたので、二日間で1500ページ以上は読んだことになりますね。
これくらい集中して読書をしたのは久々なので、さすがに今夜は読み疲れして頭がぼーっとしています。
明日一日で第三部を全部読めるかなぁ~。
せめて明日くらいはちょっと外出したい気もするけれど。

2009年7月18日土曜日

ひとりピザパーティ

三連休初日。
相方がバンドの合宿のため出かけてしまったので、連休中は一人きりです。

そんなわけで、初日の今日は一人でピザパーティを開いてみました。

pizza.jpg

Mサイズとはいえ、さすがに一人では食べきれませんね。(^^;

2009年7月16日木曜日

ライティング・マジック

今宵の音楽はクリス・ミン・ドーキーのベスト盤Jazz Life
坂本龍一や小曽根真ともセッションしている名ベーシストですが、日本版はたぶんThe Nomad Diariesしか発売されていないのでちょっと寂しい。
ちなみに今回も輸入盤をカリフォルニアから2000円で買いました。

audio.jpg

システムもセッティングも何も変えていないのですが、部屋のライティングを落とすだけで音が良くなるような気がするから不思議。
薄暗い部屋の中、目を閉じてジャズの音色に耳を澄ます夜というのもいいものです。

2009年7月15日水曜日

タクシーと子育ての因果関係

僕はタクシーに乗るのがあまり好きではない。
どれくらい好きでないかというと、「好まない」と「病的に嫌い」の中間くらいだ。

昼間にタクシーを使うのは仕事で必要な時以外はまずない。
多少遠回りになっても電車を使って移動する。
夜、電車がないとき使う手段は二つだ。
まず、終電が途中駅まであったり、近場で飲んでいたりする場合は自宅まで歩く。
一時間くらいなら歩いたことはしょっちゅうあるし、あるときなどは品川から川崎の自宅まで4時間くらいかけて歩いたこともある(多摩川をわたる頃には空が白んできた)。
電車が全くなくなった時は、漫画喫茶かサウナで夜を明かす。
仕事場から自宅まで深夜にタクシーに乗ったら7000~8000円くらいはかかるはずなので、それなら3000円程度払って夜明かしした方がずっといい。

たしか「ノルウェイの森」に都内を延々と散歩し続けるシーンがあったと記憶しているが(エッセイを読んでいると村上春樹自身が相当の散歩好きのようである)、たしかに山手線の内側なんて新宿から秋葉原までだって歩ける距離なのだから、昼間都内に用があるならタクシーに乗っても1000円ちょっとくらいで済むはずだ。
30代になってもATMで引き出すお金はいつも9000円と決めている僕でも、もうちょっと気軽にタクシーを使っても良さそうなものである。
どうしてそこまでタクシーを利用したくないと思うのかちょっと考えてみたのだが、田舎にいたころは自家用車で移動することが普通だったことが影響しているような気がする。
大人になってからは自分の車を持っていたし、子供のころもタクシーに乗るというのはよほど特別な事情があるときだけだった。
そんな習慣のために品川から川崎まで歩いてしまうとは、いやはや、子供のころから刷り込まれた習慣というものは恐ろしいものである。
関東で生まれ育ち、都内の地理をよく知っている人はそんなバカみたいなことは決してやらないだろう。

「都内で生まれ育つ」といえば、自分の子育ての事もそろそろ考えなければならない年齢になってきた。
赤ん坊のうちはなんとなく想像もできなくはないが、自分の子供が関東で小学校に上がるというシーンはちょっと想像できない。
ましては「私立のお受験」などもってのほかである。
そういった意味ではそろそろ田舎に帰りたい気がするのだが、相方は関東での暮らしが気に入っているようだ。
このままでいくと、家や子育てなどいろいろなことが中途半端なまま歳だけとっていきそうな嫌な予感がするのだが、どうしたものだろうか。。。

2009年7月14日火曜日

だいぶ楽になりました

土曜日に病院に行って睡眠薬を増量してもらいました。
毎晩の眠剤であるフルニトラゼパムを倍の2mgに、ついでに頓服のニトラゼパム(商品名ベンザリン)5mg錠を20錠。
薬を整理している箱の中を見ると、眠剤だけで70錠くらいあるのでちょっといけない妄想に入っちゃいそうですが、ベンゾジアゼピン系の睡眠薬は安全性が高いので一度に全部飲んでも死ねません。たぶん。

そんなわけで土曜日の夜から新しい眠剤のカクテルを試しているのですが、月曜・火曜と午前中の眠気がだいぶ少なくなり体が楽になってきました。
昼ごはんも一応普通に食べられるようになってきたし、やはりいままで寝ているようでちゃんと睡眠がとれていなかったんですね。
ここ1か月ばかり、ずっと体の不調を引きずってきたので「え? 普通ってこんなに体が楽だったっけ?」と半分驚いています(笑)。

思い返せば、去年の夏頃に体の不調に気づきはじめたときも、最初の自覚症状は昼間のひどい眠気でした。
会議という会議がすべて眠くて仕方なく、ほとんど居眠りばかりしている日々。
もともと居眠りしやすい体質で困ってはいたんですが、あの頃は本当にひどかった。
もちろん自分でも罪悪感を感じるし、周囲からは注意されてへこむしで、完全に負のスパイラルにはまっていましたね。

今は異動させてもらって仕事も楽になったので、精神的なプレッシャーは少なくなりました。
あとは体の調子を取り戻すだけなのですが、なかなかそう簡単にはいきません。。。
でも最近になってようやく、病気とのんびり付き合おうという気持ちが持てるようになってきました。
来春までには薬を飲まずに済むようになりたいですね。

2009年7月13日月曜日

コンディション "F"

会社の健康診断の結果が返ってきました。
なにげなく目にした総合判定の結果は "F"。

要精密検査。

うぉ!
いったい何事だ!?

中身をチェックしてみると、LDLコレステロールの値が170で平均値を思いきりオーバーしていました。(平均値は65~139ml/dlとのこと)
前回の健康診断では上限ぎりぎりながら平均値に収まっていたのに、この突発的な増加ぶりはいったい何が原因!?
確かに最近ちょっと太り気味で気にはなってはいたんだけど、体重はまだ標準体重よりだいぶ下なんだけどなぁ。

ちなみに、今飲んでいる薬にスルピリド(商品名ドグマチール)というのがあるのですが、これには胃薬の効果もあって(というか、もともとは胃薬だった)胃腸の活動が活発になるので、お腹が減って大食いになるせいで太りやすいんだそうです。
なんかあんまり効いているような気がしないし、次回から処方をストップしてもらえないか相談してみようかなぁ。

とりあえず今週中に再検査に行ってきます。。。

2009年7月12日日曜日

寝てばかりの週末でした

土曜日、心療内科へ。
午前中眠くて仕方ないことを伝えると、「ちゃんと睡眠がとれていないんでしょう」ということで睡眠薬が増量されて処方されました。
たしかに、週末に向かうにつれて疲れが溜まっていく感覚はあるので、体がきちんと休めていないかもしれません。

疲れが溜まっていたせいか、この土日は寝てばかりの週末でした。
土曜日は、病院帰りにスーパーで買い物をしただけで疲労困憊。
昼食後、昼寝してしまい気づいたらもう夕方。

日曜日も10時過ぎまで寝ていたのに、その後も読書をしては1時間ほどうとうとすることの繰り返し。
この二日とも一日15時間くらい寝ていたんではなかろうか。。。

新しい薬で今週はぐっすり寝られるといいなぁ。

2009年7月11日土曜日

スライストマトの甘酢生姜のせ

トマトがおいしい季節になってきましたね。
スライスしてそのままでも、サラダに入れても、加熱してパスタや煮込み料理にしてもなんでも美味しいトマトですが(ちなみに、僕はスライスしたトマトに砂糖をかけて食べるのが好きです。いや、甘い果物のような味になって美味しいんですって、これが)、ちょっと変わった食べ方をご紹介します。

材料

  • よく冷やしたトマト(中) × 好きなだけ
  • 甘酢生姜(寿司用のガリ)50g × トマトの数

作り方

  1. よく冷やしたトマトを薄くスライスし、冷やしておいた皿の上に並べる
  2. 上記の上に水気を切った甘酢生姜を乗せる
  3. トマトと甘酢生姜を一緒に食べる

これだけです。

甘酢生姜がトマトの生臭さを消し、トマトの酸味が甘酢生姜の辛味を打ち消し、お互いのおいしいところだけが生きる不思議なコンビネーション。
もともとはhelionに連れて行ってもらった新橋の居酒屋で出会ったメニューですが、今日自宅で作ってみてもおいしくいただけました。
生トマトが苦手な人でもこれなら美味しく食べられると思います。
ビールにも合うのでこれからのシーズンお勧めのメニューですよ。(^^

2009年7月9日木曜日

眠くて仕方ない

眠い。
「眠くて死にそうだ」という表現が実感できるほど眠い。

最近、というかもうここ1か月くらいになるけれど、午前中目がくらみそうになるほど眠い日々が続いている。
頭の中に眠気の塊が居座っているような感じで、歩き回ったり、トイレに行ったり、何をやっても眠気が去ってくれないのだ。
まるで出社前に間違えて眠剤を飲んでしまったみたいだ。
電車の中では座れたらもちろん爆睡。
立っていてもつり革にしがみついてまどろんでいる。
眠いのは会社に着いてからも変わらない。
もちろん仕事も全くはかどらない。
起きていることだけで全力を振り絞っているような状態なのだから、それも当然だ。
椅子に座っていることもつらくて、医務室に行って仮眠をとらせてもらおうかと思ったことも二度や三度ではない。
トイレの便座に座ってうたたねするのはしょっちゅうだ。
長く眠りすぎたせいで、足がしびれて立つのもようやっとという状態になったことも何度かある。
そうやって仮眠をとれば少しは楽になるけれど、それでも軽い眠気は残ってしまう。
昼食をとるのもしんどいので、ここ数日は昼休みになるとすぐ机に伏せて1時間フルに眠っている。
昼食は午後になってから、最近設置されたパンの自動販売機で買ったパンを食べて済ませる。

単に睡眠時間が足りないだけなら話は簡単なのだが、もちろん睡眠時間はそれなりにとるようにしている(7~8時間)。
あいかわらず眠剤も飲んでいる。
それでも、最近は眠剤に耐性がついてきたのか、眠りが浅くて夢ばかり見る夜が多くて困る。
僕はロングスリーパーなのでもともとある程度まとまった時間眠らないとダメな体質なのだが、以前は6時間寝れば疲れをためずに一定ラインの体調を維持できた。
それが最近はまったくダメだ。
しかし、逆に夕方になると体調が良くなってきて目もさえるので、帰りの電車の中で眠ってしまうことは全くない。
以前、睡眠不足が続いていたころは週も半ばになると帰りの電車の中で睡魔に襲われていたことを考えると、現在の状態は単に睡眠が不足しているという状態ではないだろう。

睡眠障害が原因と考えるのが一番妥当だが、これ以上眠剤の量を増やすと今度は薬の効果が翌朝まで残ってしまいそうで心配だ。
僕は今、超短時間作用型のゾピクロン(商品名アモバン)と、中時間作用型のフルニトラゼパム(商品名ロヒプノール、サイレース)を併用している。
眠剤を飲んで寝ても夜中に目が覚めてしまうようなときは、余っているゾピクロンを飲み足して寝るような時もあるが、ゾピクロンは超短時間作用型というだけあって作用時間が3時間くらいしかないので翌朝まで影響することはほとんどない。
一方で、全体的な睡眠の質を改善する(眠りを深くする)には一晩中効いている(作用時間6~8時間)フルニトラゼパムを増量する必要があるが、これはアメリカでは麻薬指定されている(日本でも第二種向精神薬に指定されている。ちなみに第一種向精神薬はあの有名なリタリンが含まれていて、現実的にはほとんど入手できない)結構強力な睡眠薬なので、安易に増量するのもどうかなぁと思う。

いずれにせよ、今週末で薬が切れるのでまた病院に行かなくては。
僕は風邪などの一般的な体調不良では滅多に病院に行くことのないタイプなのだが、精神科は一度世話になると縁を切るのが非常に難しい。
別に禁断症状が出るわけではないが、薬が無くなるのが怖いのだ。
では何が怖いのかというと、それは眠れなくなることだ。
一般的な体調不良なら会社を休んで寝ているなり症状に対処する方法があるが、眠れないという症状から逃げ出すことはできない。
眠れないまま悶々と過ごす夜がどれだけ長いことか。
眠れないことがどれだけつらいのかは、不眠症になった人間でないとわからないだろう。
その点、精神科はある意味合法ドラッグのディーラーみたいなもので、薬物に依存し始めると何としてでも薬をもらうために通わざるを得なくなってくるのだ。

もちろん不眠症が改善して薬を飲まずに済むようになるのが一番良いのだが、精神系の病気は治るのにかなり時間を要する。
よく「うつ病は心の風邪」と表現されるが、風邪のように薬を飲めば2~3日で軽快するような軽い病気ではないのだ。
早く「眠くなって寝る」という本来の睡眠を取り戻したいのだが。。。

2009年7月8日水曜日

村上春樹作品における小便シーンの研究5

国境の南、太陽の西」講談社文庫 pp.50-51

 叔母は気楽に歌を歌いながら野菜を切ったり、味噌汁を作ったり、卵焼きを作ったりした。でもどれだけ経っても彼女は洗面所に行かなかった。それは僕をすごくいらいらさせた。ひょっとしたらこの女はとくべつ巨大な膀胱を持っているのかもしれないと僕は思った。でも僕がほとんどあきらめかけたころになって、やっと叔母はエプロンを取り、台所を出ていった。僕は彼女が洗面所に入るのを確かめてから居間に飛んでいって、手を思い切り二度叩いた。イズミが靴をさげて階段を下りてきて、素早くそれを履き、音を忍ばせて玄関から出ていった。僕は台所に行って、彼女が無事に門を出ていくところを確認した。それからすぐに、ほとんどすれ違いみたいに叔母が洗面所から出てきた。僕はため息をついた。


両親が法事か何かの用事で出かけてしまったある日、彼女を自宅に連れ込んだ高校生の「僕」。
そんな時に限って、突然叔母さんがやってきて夕食を作ってくれるという。
部屋に閉じ込められて出ていくことができない彼女。
僕は叔母さんがトイレに行くタイミングを見計らって、彼女を外に逃がそうとするのだが。。。

大人になってしまった今ではあまり意識しないけれど、パートナーと裸で向き合うことができるということはとても素晴らしい経験だと思う。
でもそれはタイミングがとても難しい。
高校生の男子といえば性欲のかたまりみたいなものだけれど、パートナーが同年代の女性だとしたら、ある程度性的に奔放な性格でないと暴走した欲望が二人の関係自体を損なってしまうことだろう。
僕らが「あの頃」を切なく思い出すのは、そんな薄氷を踏むような危うさを伴った時代だったからなのかもしれない。

2009年7月6日月曜日

ぢごぷり(1)

木尾士目といえば、やっぱりげんしけんより四年生・五年生シリーズだよね、と思う三十路男ですがなにか?

digopuri.jpg

不細工な赤ちゃんを抱いた、巨乳・アホ毛の女の子の表紙。
裏表紙は紙おむつをつまみ上げるゴスロリの女の子。
え?
木尾士目ともあろう人が、まさか育児マンガってぇことはないよね?

......と思っていたら、本当にバリバリの育児マンガでした。
18歳の双子の姉妹が、生まれたばかりの赤ちゃん(ちなみに産んだのは姉のほう。旦那については思わせぶりな描写があるだけで、1巻では詳細は不明)の世話に追われるという一見コミカルなストーリー。

でもイイ!
絵はげんしけん以上にアニメ絵なのに、内容はリアルディープ。
この、気持ちいいくらいネガティブな子育ての描写が最高だ!!
そうだよね、やっぱり木尾士目はこうでなくちゃ!!!
というか、ここまで自分をさらけ出しちゃっていいわけ(笑)!?

子育て漫画といえばママはテンパリストうさぎドロップを読んだことがありますが、相手が生後7日目の乳児ってのは初の世界です。
そりゃあ強敵だよね。
それに、10代の出産って周囲にも相談できる友達なんかいないし、女性としても結構大変なんだろうなぁと思わせられました。
実際のところ、出産が女性の体に与える影響がこんなに大きいとは本書を読むまで知らなかったし。

そんなわけで、子供が生まれたらホント大変だよなぁ~というのがひしひしと伝わってきました。
我が家は二人だけで子育てなんかできるんだろうかねぇ。。。

2009年7月5日日曜日

欲しいものがなくて困る

最近、ミゾがiPod Touchを買ったり、OIK. がPS2を買ったり、聖がウォークマンを買ったり、IkehonがPSPを買ったり、という話を続けて聞かされているうちに物欲が刺激されてしまいました。
定額給付金やボーナスが振り込まれ、なんとなく買い物をしたい時期ではあるのですが。。。

  • 家電品
    エコポイント制度も始まって「買い時」なのでしょうが、残念ながらうちはTVも冷蔵庫も購入済み。
    賃貸に自分でエアコンを増設する気にはならないし。
    新しくしたいものといえば洗濯機くらいですが、ドラム式洗濯機は値段が張るし、なによりも現役の洗濯機がまだまだ使えるのでいまいち食指が動きません。
  • パソコン
    去年の夏にシステムを一新したばかりだし、新しいゲームをやらないのでパワー不足を感じることもなし。
    動画のエンコードなんかの重い処理をもっとやるようならCPUのクアッドコア化も視野に入ってくるのでしょうが、まぁしばらくは現行のままで十分ですね。
    去年の秋にはモニタも新調してしまったし。
    ネットブックの価格帯でMacが発売されたら遊びで買ってみてもいいけれど。
  • ゲーム
    XBOX360を買って地球防衛軍3をプレイするかPS3を買うか。
    PS3ならブルーレイディスク専用プレイヤーとして使うという手もあるけど、いかんせんまだ本体がでかくて値段も高い。
    値段据え置きでもボディが小型化してくれれば買うかもだけど。
  • オーディオ
    今のところメインシステムには不満がないし、住宅事情を考えるとこれ以上ハイグレードの製品を買っても性能が生かしきれないという壁があるんですよね。
    そういった意味ではSACDプレイヤーも、ホームシアターもあんまり意味がない気がします。
    ポータブルプレイヤーもiPod Touch・nano共に持ってるし、イヤホンもUltimate Earsの性能に満足しているのでイヤホンスパイラルにはまり込む必要性はないかなと。
    (でもSHURE SE530がずいぶん値下がりしているのでちょっと気になったり。。。)
    そんななか唯一不満があるのが、パソコンのモニタースピーカー兼用で使っているサブシステム(相方が独身時代に使っていたコンポ)なんですが、一応ONKYOのFRシリーズなんですよね。
    これより上位のシステムを組むと、サブシステムとしてはちょっと大げさになっちゃうので悩みどころ。
  • デジカメ
    しばらく前からデジタル一眼(+単焦点レンズ)が欲しい病にかかっているのですが、やっぱりコンパクトと比べると出番が少なくなるかなぁと思って躊躇しています。
    子供が生まれたりしたら勢いで買うかもしれませんが、それまでは先送りかなぁ~。
  • 文房具
    一時期に比べるとだいぶ文房具熱が冷めてしまっているので特に欲しいほどのものはないですねぇ。
    モンブラン・マイスターシュテュック、ペリカン・スーベーレンあたりは一度手にしてみたいものではありますが。。。
  • 腕時計
    腕時計はもう何年も欲しいと思いつつ、買えない物のひとつです。
    だって高いから。
    オメガあたりは安い並行輸入品がヨドバシなんかでも売られていますが、そのせいかしている人が多いんですよねぇ。だからちょっといや。
    会社ではロレックス派もよく見かけますが、うちの会社の給料でよくそんな高価な買い物ができるなぁといつも感心してしまいます。

そんなわけで、「今欲しい!」と思えるものが何もなくて悔しいので、とりあえずCDを新品・中古合わせて5000円ぶんくらい注文してみました。
前回の焼肉と合わせて、これで定額給付金分は使いおさめかな。

2009年7月4日土曜日

亀裂が入ってきた

アボカド栽培11日目。

種の側面の薄皮に亀裂が入ってきました。

avocado.jpg

はたして成長している証なのでしょうか?
(単に腐ってきているだけだったりして)

参考にさせてもらったWEBサイトには、「水耕栽培は水を腐らせて失敗しやすい」というようなことが書いてありましたが、2~3日放っておいてもすぐに水が濁ったりするわけではないので、よほど不精でない限りは問題なさそうです。
うまく根が出てきてくれるかな?

2009年7月3日金曜日

自信の生まれる場所

自信というものがどういうものだったか、ついぞ思い出せない。
20代を通して培ったと思っていたものは、今思い返すとただの幻想だった気がする。
それはいつか終わらせなければならなかった青春時代の淡い思い出のようなものなのだろうか。
若さゆえの、根拠のない、それでいて確固としたかたちを持った万能感のようなもの。
そのようなものを再び取り戻すことができたら、と思う。

これは一つのステップなのだろうか?
本当の意味での大人になるための。
人生に対する望みを、身の丈に合った大きさにシェイプアップするための時間。
みんな、そのような自分自身に対する失望感を味わって大人になるのだろうか。
それはずいぶんと切ないもののような気もするし、当然のことであるような気もする。

いずれにせよ、このままではいられないなと思う。
否が応でも人生という建築物をこれからも積み重ねていかなければならないうえで、基礎を打たなければいずれ建物は崩壊してしまうのだ。
杭を打つ作業は、壮麗な伽藍を生み出す創造性とはかけ離れているかもしれない。
しかしいつかは行わなければならない作業なのだ。
そして、それは誰かに頼むことはできない。
僕自身の手で杭を立て、槌を振るわなければ成し遂げられない作業なのだ。

杭はどこにあるのだろう?
そしてそもそも、杭を打ち込むべき土壌はどこにあるのだろう?
どうやらまずはそこから探索行を始めなければならないようだ。

2009年7月1日水曜日

限定された可能性の中で

書店に立ち寄るたびに考えることがある。
そこに並ぶ膨大な数の書籍のうち、僕のささやかな人生を通して手に取ることのできるもののなんと少ないことか。
実際に読むことのできる作品はもとより、その存在を認識できる作品でさえごくわずかでしかない。
そんなとき、僕は自らの人生の可能性がいかに限定されたものであるかを痛切に思い知らされる。

産み落とされた時点ですでに失われていた可能性もあっただろう。
人生の節目節目で、何かを手に入れると同時にいくつもの可能性を捨て去ってきたに違いない。
でも、このかわりばえのしない日々の中でこそ、それら以上に数多くの可能性を失い続けているような気がしてならない。
人生を通じて、僕たちはまるで庭木の選定でもするかのように、自らの可能性を無意識に払い落しながら前に進んでいくしかないのだ。
そして最後には、枝葉ひとつない丸裸の幹だけが残る。

より良く生きる。
人生を豊かにする。
それは具体的にどのような作業なのだろう?
たとえ丸裸になるとしても、生きているうちに少しでも幹を太らせようとすることなのか。
わずかな風で折れそうになっても、少しでも高く背を伸ばそうとすることなのか。

30代。
仕事ではすでに中堅と呼ばれる年代になった今、僕はあまりにも迷いが多い。
どのように生きることが自分の人生と言えるのだろうか。
それとも、生きた痕跡として、影のようなものとしてしか人生というものはとらえることができないものなのだろうか。
限定された可能性の中ですら、人生を選択することはひどく難しい。