2005年8月29日月曜日

3日目: 自分探しオーラMAX (いわき~仙台 約150km)

廊下から聞こえてくる話し声で目が覚めた。
一番奥の部屋に泊まっていた大学生くらいのグループが出発の準備をしているらしい。
充電器に繋いでおいたPHSを見ると時刻は午前5時半。
予定より若干早かったが、睡眠は十分だったのでそのまま起床することにした。
ベッドの上で体を起こすと体中の筋肉が悲鳴を上げる。
昨日のハードな行程のせいで全身が筋肉痛だ。
左膝の痛みは相変わらず。
そのうえ、左膝をかばったためか右膝にも痛みが出てしまっている。
とりあえず右膝にも湿布を貼ってみたものの、無事走ることができるか不安が募る。
今日のコースが平坦でありますように……。

taira_yh.jpg

部屋の窓から外を覗くと、昨日とはうってかわって雲ひとつない青空。
しかし、夜のうちに雨が降ったらしく大きな水溜りができていた。
「昨晩野宿をしていたら酷い目にあっていたかもしれない」 と思うと、屋根の下で眠れることのありがたさを再認識させられる。
一部乾いていなかった洗濯物に扇風機で風をあてて乾燥させるなど準備に時間がかかり、YHを出発したのは7時半。
宿泊客の中で一番遅い出発になってしまった。


三日目ともなると、サドルにまたがった尻が痛い。
YHの目の前には白砂青松100選に選ばれている新舞子浜が広がり、道路沿いには見事な松林が続いているのだけれど、膝と尻の痛みに慣れるのに必死な僕には景色を堪能する余裕はない。
どちらも体が慣れてくれば痛みは軽くなるのだが、朝は体がほぐれていないだけに余計辛い。
しばらくの間はサドルから半分尻を浮かせたまま走るしかなかった。


YHから30分ほど走ったところにあったコンビニで、おにぎりとアミノ酸ゼリーの朝食を摂っていると、年季の入ったミニベロに乗ったおじさんに話しかけられた。
話を聞いてみると、50代になってから徒歩旅行を始め、最近は自転車も使って日本中を旅しているとのこと。
既に四国遍路を2回歩いたほか、日本中あちこちを旅行しているそうだ。
今回は、昨日仙台を出発してここまで走ってきたそうで、いわき市のあたりまで走ると、以前に旅したぶんと合わせて6号線制覇になるらしい。
失礼と思いながら年齢を聞いてみると、なんと64歳とのこと。
がっしりとした身体がよく日焼けしていて、エネルギッシュな立ち振る舞いはとても還暦を迎えているとは思えなかった。
一足先に出発したおじさんが坂道を颯爽と登っていくのを眺め、「僕も頑張らなきゃ」 と気持ちを新たにする。


朝食を終えて再び走り出すと、6号線はいきなり丘陵地帯に入り込んだ。
ツーリングマップルの縮尺では全く等高線がないエリアだが、実際にはだらだらしたアップダウンがかなりの距離に渡って続いている。
急坂というほどではないけれど、どこまで続くかわからない上り坂は精神的に辛い。
おまけに空は雲ひとつない天気。
フラフラと坂を上っていると額からぽたぽたと汗が流れ落ちる。
脱水症状や熱射病が怖いので、道路沿いに点在するコンビニを見つけては水分補給と休憩を繰り返した。

ice.jpg

国道沿いの郊外にあるコンビニは、僕のような自転車旅をしているチャリダーが立ち寄ることも珍しくないらしい。
僕もだいぶ自分探しの旅に馴れ、自然と首にタオルを巻いたままコンビニに立ち寄ったりするようになっていたので、会計の際に 「どこまで行くの?」 などと話しかけられることもあった。

アップダウンに苦戦しつつも、昼過ぎにいわき市と仙台との中間地点に到着。
朝から上り坂に苦戦して今日の目的地の仙台にたどり着けるか心配だったので、昼の時点で中間点まで来れて一安心した。

mid_point.jpg

道の駅そうまで昼食をとり、6号線をまた北に向かった。
宮城との県境付近で再び坂が多くなってきたが、昼食をしっかりとったためか午後は比較的順調に距離をかせぐことができた。
関東を脱出したせいか、このあたりまで来ると僕と同じように自転車旅をしているチャリダーをちらほら見かけるようになった。
同じチャリダー同士ということで親近感がわき、行き違う際に自然とお互いに手を上げて挨拶するのだけれど、これがとても気持ちいい。
言葉を交わさずとも見ず知らずの相手と連帯感を持てるというのは、ツーリングの大きな楽しみかもしれない。

昨日と一昨日の経験から野宿する気は完全になくなっていたので、仙台到着の目処が付いたところで早速YHに予約を入れることにした。
ツーリングマップルで調べると仙台市内には3件のYHがあったので、一番南にある道中庵ユースホステルに電話。
昨日は4人部屋に1人で泊まったが、今日はYHらしくもう一人と相部屋になるとのこと。


仙台の手前で阿武隈川を渡ると6号線と4号線の合流点が見えた。
交差点の近くにある距離ポストを見ると東京からの距離は約340km。
一昨日、旅への不安とともに思いを馳せた場所が今目の前にあるのだと思うと、まるでゴールしたかのような嬉しさがこみ上げてくる。

route4.jpg

4号線に入ると、突然交通量が増えたうえに路面の再舗装工事路が行われているせいで、ひどく走りにくくなった。
急にペースが落ちて焦りそうになるのを抑え、できるだけ膝に負担をかけないよう歩道をゆっくり走る。
目的地の道中庵YHは住宅地の中にありツーリングマップルの地図だけでは見つけにくかったものの、幸い昨日に比べるとだいぶ時間に余裕があったので無事日没前に到着することができた。

dochuan_yh.jpg

いかにも 「合宿所」 という雰囲気だった昨日の平YHとはうって変わり、今日の宿道中庵YHはまるで料亭か一軒宿の温泉といった風情。
門にかかったYHの看板を確かめても、思わず 「本当にここでいいのか!?」 と不安になってしまう。
立派なのは外見だけではない。
部屋は一般の温泉宿と言われても文句の無い作りだし、談話室には英字新聞まで用意されているというサービスの良さ。
その上、なんと風呂は檜風呂だ。
一口にYHといっても色々な施設があるということは出発前に調べて知っていたけれど、まさかこんな立派な場所があるとは想像していなかったので驚いてしまった。

この設備の充実ぶりに気を良くしたから……というわけではないけれど、この先もYHに宿泊することに決め、宿泊の手続きと同時にYH会員の登録を行うことにした。
YHでは通常、会員以外はビジター扱いになり宿泊費がプラス1000円となる。
会員登録には2,500円かかるものの、順調にいっても今日を含めてYHに3泊することになるので、会員になったほうが最終的に500円得になる。

手続きを終えて部屋で荷物を整理していると、相部屋の相手が風呂から戻ってきたので挨拶がてら話をした。
普段なら初対面の相手とどんな話をすれば良いのか困ってしまうところだが、YHではお互い旅行者なので 「どこから来てどこへ行くのか」 を話すだけで盛り上がる。
話を聞いていると、相手は埼玉から来た大学3年生とのこと。
このYHに数日間泊まり仙台観光をするのだそうだ。

お互いの話が一段落したところで早速風呂へ。
朝から一生懸命日焼け止めを塗っていたのだけれど、雲一つない晴天のおかげでかなり日焼けしてしまったらしく、湯船につかると手足がひりひりと痛んだ。
夕食は頼んでいなかったので、夕涼みがてら近所のマックまで散歩してハンバーガーをテイクアウト。
牛タンを食べに行く気合はなかったので、イーグルスのロゴが入ったビールで仙台の気分を味わいつつ、PHSから掲示板に近況報告を書き込んだ。

beer.jpg

相部屋の大学生がかなり話し好きな性格だったこともあり、話をしているうちにいつのまにか時刻は11時過ぎになっていた。
明日からの旅に備え、慌てて今日の旅の記録をメモして部屋の明りを消す。
身体はいつになく疲れ切っていたけれど、明日からの旅のことを思うと興奮してなかなか眠ることができない。
明日はいよいよ松島だ……。

2005年8月28日日曜日

2日目: 屋根の下で眠る幸せ (土浦~いわき 約150km)

目が覚め、周囲が明るくなっているのに気付いて最初に感じたのは 「やっと夜が終わってくれた」 とほっとする気持ちだった。
時刻は5時過ぎ。
天気はどんよりとした曇り空。
昨晩の暴風はすっかり止んでいたが、起き上がってみると空気は肌寒さを覚えるほど冷え込んでいた。

nedoko.jpg

恐る恐る膝を曲げてみると、歩けないほどではないけれど痛みはしっかり残っている。
公園内の公衆トイレで顔を洗い終えてからも動き出す気力が持てず、ベンチに腰掛けて湖畔の風車をぼうっと眺めていた。
進むべきか、リタイヤすべきか……。

6時を過ぎるとジョギングや犬の散歩で公園を訪れる人が増えてくる。
いつまでも寝袋を広げているわけにもいかず、朝食をとってからリタイヤするかどうか決めることにして、出発の準備を整えた。
公園内の歩道でゆっくりとペダルをこぎはじめると、痛みのせいで左足にはほとんど力を入れられないが、全く走れないというほどではないようだ。
左足に負荷をかけないように注意して、ゆっくり走る。

昨晩のコンビニで朝食を購入。
相変わらず食欲が無く、ホットコーヒーで流し込むようにしてパンを食べた。
食事を終えても立ち上がる気になれず、しばらくのあいだコンビニの前を行き交う車をぼうっと眺めていたが、やがてエネルギーを補給したせいか元気が出てきた。

「2日目でもうリタイヤなんて恥ずかしいし、とりあえずもう少し走ってみよう。その上で膝が痛くて全く進めないようなら、リタイヤしても格好が付くし」

とても前向きな気持ちとはいえないが、そう考えることでやっと再び前に進む踏ん切りをつけることができた。


多少道に迷いつつも16号線に合流し、今にも雨の降り出しそうな曇天の下を北に向かった。
膝の痛みを気にしながらゆっくりと歩道を走っていると、追い越していった車の助手席の窓からおばさんが顔を出して 「シートを落としましたよ!」
とっさに 「ありがとうございます!」 と叫んで急ブレーキをかける。
振り返って確かめると、サドルと荷物の間に挟んでいたアルミシートが無くなっていた。
荷造りをしている時から安定性が悪いなとは思っていたのだが、やはり走っているうちに落としてしまったようだ。
周囲に注意しながら2、300メートル戻ると、車道と歩道の間にある緑地にシートが落ちているのを発見。
車に踏まれたりした形跡もなく、無事回収することができた。
「誰にも頼ることができない」 という気持ちから精神的に余裕がなくなっていただけに、ちょっとした親切がとてもうれしく感じられる。

10時前頃、東京から100kmの距離ポストに到達。

100km_point.jpg

今朝出発したときには膝の痛みのせいで水戸までたどり着けるのかさえわからなかったため、「水戸まで7km」 の表示を見て元気付けられた。
郊外の道は信号が少なく一定の速さで走り続けられるため、膝への負担が少なくて済む。
しかしその一方で、所々に一般道との立体交差によるアップダウンや、高速道路の入口を迂回するための歩道橋があり、その度ごとに膝が悲鳴を上げた。


イミテイションなんて 蹴飛ばして
この痛みは ナイナイふりして
最後に笑う人は 誰でしょう?
急がば廻れ

―― JUDY AND MARY 「motto」


ふと気が付くと、このフレーズが絶えず頭の中で繰り返されている。
これが噂の 「ガンダーラ現象」 なのだろうか……。


昼近くなった頃、若干空腹を感じてきたので目に付いたコンビニに入った。
店の前に座り込んでハンバーガーを食べ、コンビニの店名から現在地を調べると日立市の多賀町という場所らしい。
道路が走りやすいせいか、だいぶペースが上がっていて元気付けられる。
食事を終え、PHSの電源を入れてみると聖からメールが届いていたので返信。
普段の居場所から遠く離れてみると、普段当たり前のように思っていた世界の大切さ・人間との繋がりの大切さを改めて強く思い知らされる。


日立市を過ぎると、6号線はついに海と出会う。

first_contact.jpg

しかし、海沿いの道だからといって平坦というわけではなく、むしろこれまでの内陸のコースよりアップダウンがきつい。
福島との県境を前にして次第に雲行きも怪しくなり、ぱらぱらと小雨まで降り出してきた。

最初は気にせずそのまま走り続けていたが、次第に雨脚が強くなってきたためコンビニの店頭で雨宿りさせてもらうことにする。
既に時刻は午後3時過ぎ。
そろそろ今夜の寝床をどこにするか考えなければならない。
昨晩の経験で野宿にはすっかりこりていたし、天候も不安定なので今夜は屋根のある場所で寝たかった。

ツーリングマップルを取り出して確認すると、35kmほど先のいわき市にユースホステルが2軒あることがわかった。
出発前は 「他の旅行者と相部屋」 というところに抵抗があってあまり利用する気はなかったが、野宿の辛さに比べれば布団で眠れるだけで十分だ。
初めての利用ということで少し緊張しながら電話をかけてみると、一軒目は休館日ということで断られてしまったが、二軒目で無事予約がとれた。
野宿慣れしていないと、寝床が決まっていないことに対する不安感はかなり大きい。
今日の目標地点がはっきりしたことで、安心感とともに驚くほど気力が湧いてくるのがわかった。


雨が弱くなってきたところで、再び自転車にまたがって走り出した。
小雨がぱらつく中を走っていくと、濡れた路面がくっきりとラインを描いて乾燥した路面に変わる場所に出くわした。
不思議な風景を眺めていると、竹本くんの 「雨の終わる場所」 のエピソードが思い出され、「いつのまにか遠くまで来たんだなぁ……」 と急に旅の実感が湧いてくる。
やがて、県境を越えていわき市に入った頃には青空も見えてきた。

iwaki.jpg

赤みを帯び始めた太陽の光を背中に浴びながら、ユースホステルのおばさんに聞いた道順に従って6号線のバイパス(いわきサンシャインロード)を走る。
最初のうちは一般道との立体交差によるアップダウンにてこずらされるだけだったが、市街地を通る旧道から分かれたバイパスは、次第に山の中に入り込んでアップダウンが激しくなっていく。
ただでさえ辛い山の中のコースなのに加えて、道路の拡張工事の影響で歩道が全くない区間が多く、バイパスを飛ばす車のすぐ脇を低速でふらふら走らざるを得ない。
肉体的にも精神的にもどんどん疲労が蓄積していく。
もう体力は限界に近いのに走っても走っても次の坂が現れ、山の中をぬって建設されたバイパスの周囲には人家もほとんどない。

周囲を包み込み始めた夕闇に急き立てられて夢中でペダルをこいでいると、自分でも気付かないうちに体力を消耗していたらしい。
歩道にしゃがみ込んで地図を確認した後、立ち上がろうとするとハンガーノックと水分不足から危なく貧血で倒れそうになった。
非常用に準備していたカロリーメイトをむさぼるように食べ、ボトルが空になるまで水を飲んでようやく動けるようになったけれど、日没とともに山の中の気温はぐんぐん下がり焦りばかりが増していく。

すっかり日が暮れた頃、ようやく丘陵地を抜けて6号線と合流することができた。
ここまで来ればユースホステルまでは残り僅か。
7時前に無事今日の宿平ユースホステルに到着することができた。
なかなかいいキャラクターをしたペアレントのおじいさんに宿泊の手続きをしてもらうと、公営の施設のせいか宿泊費はユースホステルの中でも格安の1,830円とのこと。
相部屋の客がいるのかと思っていたけれど、夏休みも終わりのせいか今日の泊り客は僕を含めて3組のみと非常に空いていて、4人部屋に一人で泊まれることになった。
一日中走って疲れ切ったあとだったので、一人でゆっくりできるのは非常にありがたい。
部屋に入ってベッドに腰を下ろし、ようやく心からほっとすることができた。

taira_yh_room.jpg

素泊まりのため、一息ついたところでおじいさんに教えてもらった近所のレストランに向かう。
既にシーズンオフのせいか、海岸沿いに立つ店の客はカウンターでコーヒーを飲みながら文庫本を読んでいるおじさんが一人だけ。
少し気まずい思いをしながら四人がけのテーブルに着くと、さっきまで文庫本を読んでいたおじさんがメニューと水を運んできた。
「この人は客じゃなかったのか」 とびっくりしていると、おじさんは再びカウンターに座って文庫本を広げた……。
なんとも奇妙な雰囲気を持った店だったけれど、外界と別の時間が流れているような店内は調度やBGMが不思議なほど心地良く、運ばれてきたハンバーグセットも手抜きが感じられず素直に美味しかった。
こんなふうに 「近くにあったら常連になりたい」 と思うような店に出会ったのは初めてかもしれない。

食事を終えてユースホステルに戻り、風呂に入って汗を流した。
温泉ではないけれど、熱いお湯に浸かれるというだけで何ともいえず気持ちいい。
強風に耐えながら寝袋の中で震えていた昨晩とのあまりの差に、明日以降もできるだけユースホステルに泊まろうと決心した。

ゆっくりと湯船に浸かった後は、洗濯機を借りて汚れ物を洗い明日からの旅の準備を整えた。
洗濯物を干し終えて時計を確かめると、時刻は8時半過ぎになっている。
ふと24時間テレビの100kmマラソンのことを思い出し、ロビーのテレビを付けてみると丸山弁護士が間もなくゴールを迎えるところだった。
リアル夜のピクニックで100kmという距離の遠さを知った今、ゴールしても飄々としている丸山弁護士を素直に 「すごいな」 と思う。
……僕も負けてはいられない。
今朝あれほど悩んだ 「リタイア」 の文字は、僕の心からいつのまにかすっかり消え去っていた。


10時の消灯時間が迫ったので、部屋に戻ってベッドに横になった。
寝る前に現在の状況を掲示板に書こうかと思ったが、なんとPHSが圏外。
現状報告は明日にすることに決め、一日ぶりの布団の上で安らかに目を閉じた。

2005年8月27日土曜日

1日目: 最悪のスタート (川崎~土浦 約90km)

午前5時に目覚まし時計のアラームが鳴った。
枕元に手を伸ばしてアラームを止めカーテン越しに様子をうかがうと、既に外はすっかり明るくなっているようだ。
しかし、起き出す気力がなく再び目を閉じてしまう。
再び目が覚めたのは7時を過ぎた頃だった。

なんとか布団から這い出したものの、旅への不安や「やめておけば良かった」という後ろ向きな考えばかりが浮かんでくる。

「この旅を無かったことにするようなうまい言い訳はないだろうか?」

でも。
そんなものはないってこと。
そして、そんなことをしたら自分が一番後悔するってこと。
それは自分自身が一番良く知っている。


重苦しい気分を抱えたまま、それでもなんとか体を動かして準備を始めた。
着替えや洗面道具、医薬品、工具類、行動食、飲料水用のボトル、寝袋やマット、輪行袋。
本格的なキャンプ道具は無いけれど、何日も旅をするとなると細々とした荷物がかなりの量となる。
荷物を詰め込むと、今回の旅のために用意したシートポストキャリアバッグはほぼ一杯になった。
入りきらない荷物や貴重品はリュックに入れて背負うことにする。
荷物の準備が一段落したところで、昨日のうちに買っておいたパンとアミノ酸ゼリーで朝食を摂った。

ボトルに水を詰めたり日焼け止めを塗ったりして、出発の準備が完全に整ったのは10時近くになってからだった。
キャリアに荷物を固定すると、自転車は持ち上げるのも容易ではない重さになる。
こんな状態のまま、ロードレーサーの重いギアで坂を上れるだろうか。
「いざとなれば降りて押せばいい」と思いつつも、不安は募る。

bicycle.jpg

走り出す前にPHSでメールをチェックすると、OIK.と元カノから応援のメールが届いていた。
返事を書いていると、出発前の不安な気持ちが少しだけ軽くなる。
これでやっと「ここまで来たらもう走り出すしかないんだ」という踏ん切りが付いた気がした。
ドアに鍵をかけ、自転車にまたがる。
「何回ペダルを回せば目的地にたどり着けるのだろう」
そんな、希望とも不安ともつかない気持ちを抱きながら、慎重にペダルをこぎ始めた。


若干雲が多目で日差しがキツ過ぎず、走りやすい天気。
膝痛を警戒しつつ、抑え目のペースで都心に向かって北上する。
荷物のせいで自転車のバランスが変わっているため、出発早々転んでてケガをしないか緊張が続く。
都心部は交差点が多いためペースが上がらず、国道6号線の起点である日本橋に着いたときには、既に正午近くなっていた。

route6.jpg

日本橋三丁目の交差点で国道4号線と分かれた6号線は、千葉を経由した後、茨城・福島・宮城の沿岸を通り、仙台で再び4号線と合流する。
その場所は300kmの彼方だ。

6号線を走っていくと、交通標識に「浅草寺」の文字が見えた。
「浅草寺ってなんか聞いたことあるな……」とぼんやり考えながら近づいていくと、大勢の観光客の向こうに巨大な提灯を発見。

kaminarimon.jpg

関東に来て今年で5年目になるけれど、実際に雷門を見たのは初めて。
できればもっと近くに寄って見たかったが、偶然にもあさくさサンバカーニバルの当日だったこともあり、物凄い人出で近寄ることすらできなかった。
「そのうち電車で来よう」と思いつつ、写真だけ撮って先を急ぐことにする。


千葉に入ったところでコンビニで昼食を摂ることにした。
あまり食欲がないため、朝食に続いてパンとアミノ酸ゼリーを購入。
食事をする場所のアテがないため仕方なく店頭に座り込んで食事をしていると、次第に腹が痛くなってきた。
旅への緊張からか月曜日頃からずっと便秘が続いて困っていたのだけれど、体を動かしたことで腸が反応したらしい。
幸いにもコンビニの目の前にいたためすぐトイレに入ることができたものの、次の客に急かされたために中途半端な状態でトイレから出ることに。
市街地で比較的コンビニの数が多い場所だったこともあり、もう一度便意を催すまで待っているのも気が引けたので、とりあえず先に進んで様子を見ることにした。

しばらく腹痛もなく安心していると、6号線と16号線が交差するあたりまで来て急に腹痛が再発した。
慌ててコンビニを探すがそれらしき看板は見えない。
しかし腹痛はかなりひどく、トイレを探している余裕はほとんど無い。
しばし迷った末、目の前にあったファミレスでトイレを借りることに決め、腹痛と闘いながら店頭に自転車を止めて店に入った。
まず店員に断りを入れようと思ったのだが、僕より一歩先に入った客を案内しにいってしまい、声をかけられそうな店員が見つからない。
もう別の店員が来るのを待っている余裕が無かったため、仕方なく無断でトイレに駆け込んで用を足した。
トイレから出るとちょうどレジに店員が戻っていたので、先にトイレを借りてしまった旨を伝え、テイクアウトのメニューがないか聞いてみたところ、親切にも「そのままで結構ですよ」との返答。
かなり辛い状況だったので、ちょっとした親切がとても嬉しかった。
フォルクス 柏店さん、ありがとうございました)

volks.jpg

ファミレスから出て少し走ると、見覚えのある風景に出くわした。
2002年1月5日、まだ江戸川区に住んでいたころに利根川まで走ったときの記憶だ。
変わらない景色と、あの頃から変わってしまった多くのものを思い、切なさがこみ上げてくる。

tonegawa.jpg

写真を撮り、再び自転車にまたがって走り始めたところ、ズボン(自転車用のハーフパンツで、裾の部分をマジックテープで調整できるようになっている)の裾に違和感。
走りながら左手を伸ばして裾を直そうとすると、急にバランスを崩して左に倒れそうになった。
体勢が悪かったため、バランスを直す余裕も無くそのまま橋の欄干に接触。
転倒はしなかったものの、左腕と左手薬指を負傷してしまった。
指のケガからだいぶ出血していたが、橋の歩道部分は狭いため、渡り終えてから傷の治療をすることにしてとりあえず前進。
傷口は皮がむけた程度だったため、消毒して絆創膏を貼る。
念のために買っておいたマキロンが早速役に立った。


夕暮れも近づいた頃、交通標識に初めて「仙台」の文字が現れた。
その距離292km。

hyoushiki.jpg

十分に注意していたつもりだった膝痛だったが、茨城に入る頃にははっきりと自覚できるほどの痛みが出てしまっていた。
少しでも痛みが減るようにペダルのこぎ方を工夫するものの、一度痛みが出てしまった以上、膝を使わないようにして安静にする以外根本的な治療法はない。
そんな状況にケガのショックが加わり、旅のあいだは誰の助けを借りることもできないんだという強い孤独感が押し寄せてきた。
腹痛・膝痛・ケガと一日目からひどい体調であるにも関わらず、ゴールはまだ500km以上も先なのだ。
そう思うと気が遠くなってくる。
「ゴールだけでなく、そこにたどり着くまでのプロセス(自転車旅行そのもの)を楽しむようにしなければ」と自分に言い聞かせるが、弱気になってしまった心をコントロールすることはひどく難しい。


夕暮れが迫る頃、野宿予定地の霞ヶ浦総合公園に到着。
昼晴れていても夜中に雨が降ることも多いし、朝露も降りるので、テントなしで野宿する場合は屋根がある場所を確保しなければならない。
公園内を自転車で回ってみると、野宿に使えそうな四阿があったので今夜の寝床にすることに決めた。

kiasumigaura_kouen.jpg

寝床の下見を終えてから近くのコンビニで夕食を購入。
相変わらず食欲がないため、おにぎりと野菜ジュースだけの食事だ。
宵闇の迫る中一人でおにぎりをかみ締めていると、再び胸を締め付けるような強い孤独と不安を感じる。
明日来た道を引き返せば自宅に戻ることができる。
これ以上先に進んでしまったら、容易にリタイヤすることさえできなくなる。

辛い。
怖い。
これ以上走りたくない。

リタイヤするかどうか、本気で迷っている自分がいる。


食事を終え、公園のトイレで洗顔と歯磨きをしてしまうともうやることがない。
やる気力もない。
持参したiPodで、勝手に今回の旅のテーマソングにしているドリカムの曲を聴いたりして時間をつぶし、周囲が暗くなり、運動や散歩のために来ていた人々がいなくなるまで待ってから、膝に湿布を貼って寝袋にもぐりこんだ。
100円ショップで買ってきたアルミシートにはほとんどクッション性がなく、硬い木のベンチの感触がそのまま伝わってくる。
日中の運動でこわばった背中の筋肉が痛い。
でも、そのまま寝るしかない。

寝袋に入ってしばらくすると、次々と若者のグループが花火をしにやってきた。
入れ替わり立ち代わり、夜中まで延々と花火や爆竹のような音が続いて眠れない。
夏休みも終わりだし花火シーズンはもう過ぎただろうと思っていたのだけれど、読みが甘かったようだ。

夜中近くなってようやくウトウトできたと思うと、今度はひどい風の音に叩き起こされた。
霞ヶ浦から吹き付ける風なのか、まるで台風でも来たかのような強風。
自転車や荷物が大丈夫か不安になるが、疲れ切った体は既に半分眠った状態になっていて起き上がることができない。
寝袋のフードの紐を締め、風上に背を向けて風に耐えていると、いつの間にか眠りに落ちていた。

2005年8月26日金曜日

出発前夜

いよいよ明日は自分探しの旅に出発だ。
そう思うと、そわそわしてなんだか仕事も手につかない。
目的地である道の駅やまだまでは、東京からおよそ600km。
いったいどれほど遠いのか、想像することもできないほど長い距離だ。
旅に対する希望や期待がまったくないわけではないけれど、それを押しつぶしてしまうほど不安が大きくて、

「なんでこんなバカな企画を考えてしまったんだろう」
「こんな長い距離を本当に走り切れるんだろうか」
「いっそこんな旅はやめてしまいたい」

といった弱気な考えばかりが浮かんでしまう。
しかし、blog で書いたり、友達や会社の同僚に言いふらしてしまった以上、ここまで来てやめるわけにはいかない……。


会社の昼休みを利用して、昨日から作り始めたパッキングリストの見直しをする。
僕の自転車はロードレーサーなので、元々荷物を積めるようにはできていない。
今回の旅のためにシートポストに取り付けるキャリアとバッグを購入して荷物を積めるようにはしたけれど、運べる量はかなり限られるし、あまり重い荷物は積めないので、持って行く荷物は必要最低限にしなければならない。
パッキングリストの作成にあたっては自転車ツーリング再生計画などのサイトを参考にさせてもらったものの、初めての旅だけに 「もし必要になったら……」 という不安から、考えれば考えるほど荷物が増えてしまう。


仕事がろくに手につかない状態だったこともあり、明日の準備をするため若干早めに会社を出た。
近所のヨーカ堂で、作成したリストの中で不足しているものを購入して帰宅。
すぐにでも明日の準備を始めなければ……と思いながらも、踏ん切りが付かずにダラダラしているうちに時刻はいつの間にか12時を過ぎてしまった。

旅のあいだは、明るい時間帯を有効に使うため朝早く起きるようにしなければならない。
朝型の生活に切り替えるために、明日朝早く起きて準備をすることに決めてシャワーを浴びて布団に横になった。
しかし、「野宿旅をする以上、明日からはしばらく風呂に入ったり布団の上で寝たりすることはできないんだな」 などと考えると、ますます旅への不安が募りなかなか眠ることができない。

「まるで遠足の前日みたいだ」 と自嘲しながら、布団の中で悶々としたり諦めて起き上がったりを繰り返し、ようやく眠ることができたのは午前2時を過ぎた頃だった。

北へ

じゃあ またあした 帰り道横切った おにやんま
あんまり高く上がっていくから 空の色が移るかと思った

わたしたちいろんなものを たくさん持っているけど
羽だけはないんです

その羽を心に借りたら
どこまで行けるだろう

―― DREAMS COME TRUE 「dragonfly」

2005年8月25日木曜日

出発直前

自分探しの聖地。

hamadayama.jpg

ってなわけで、いつのまにか自分探し3級取得プロジェクトの時期がやってきました。
一応今週土曜日出発の予定です……。

正直なところ、ホントにこんなアホな企画ができるのかドキドキ。
膝痛という不安要素もあるし、あまりマジメに考えすぎると不安ばかり募ってしまうので、

いざとなったら茨城あたりで一泊して帰ってくればいいや

くらいの感じでマターリ行こうかと思います。(^^;


余裕があれば、掲示板に状況をカキコしようと思うけどどうかなぁ。
茨城でリタイヤしたら、恥ずかしくてしばらく姿を隠しているかもしれません(笑)。

2005年8月21日日曜日

任務完了!

H美親分から 「ハチクロを所望する」 旨の指令が入ったので、川崎でコミックを買いつつ聖宅へGo!
まだ封を切っていないハチクロを献上して(笑)、NANAの最新刊を読ませてもらいました。
なんかもうヤスのアニキがカッコ良すぎ。
……というか、トラネス・ブラストのメンバーでマトモな人間はヤスだけですか。(^^:

そんなわけで、NANAを読んでからハチクロを読むと青春街道爆走中のこっ恥ずかしさが余計たまらなくなります(笑)。


そんな感じで全身むず痒くなりながらマンガを読み終えたところで、地球防衛軍最後の戦いに再度チャレンジ!
試行錯誤の末にライサンダー2丁持ちという最強装備を発見し、ついに念願の INFERNOオールクリアと武器入手100%を達成しました♪
ジェノサイド砲もぶっぱなしてみたし、これで心置きなく 「2」 がプレイできます(笑)。

それにしても、アクションゲームで総プレイ時間40時間以上って、なんて恐ろしいゲームなんだ……。

2005年8月20日土曜日

花火大会行ってきました

先日 「あの夏の花火」 で泣いたからというわけではありませんが、夏のあいだに一度くらいは花火を見ておきたい気持ちになったので、多摩川で行われる川崎の花火大会に行ってきました。

花火大会というと、以前行った江戸川の花火大会のように 「人ごみに流されながら見る」 イメージが強かったのでシートも何も準備せずに行ったのですが、ローカルな花火大会のせいか比較的まったりした雰囲気。

hanabi1.jpg

会場に着いたのは打ち上げの40分前くらいでしたが、空いている場所を探してぷらぷら歩いていくと意外と簡単に座れる場所を発見。
シートを持ってきていなかったので、仕方なく手持ちの紙を草の上にしいて座ることにしました。(^^;


打ち上げを待つ間空が夕焼けから藍色に変化していくのをぼーっと眺めていると、コンサートが始まる前に闇に包まれたステージを眺めているときのように、気分が微妙に高揚していくのを感じます。
過ぎ去ろうとしている今年の夏を想い、そして過ぎ去ってしまったあの夏を想い、始まる前から 「やっぱ花火ってのはいいもんだな~」 なんてセンチメンタルな気分になってみたり……。

ま、そんな感傷的な気分は川崎おどり2005が粉々にぶち壊してくれましたが(笑)。

そうこうしているうちに7時になり、カウントダウンと共に打ち上げがスタート。
若干こぢんまりとした感じではありますが、打ち上げポイントが近いので迫力のある花火が楽しめました。(^^

hanabi2.jpg

全体的な演出といい、やたらと迷子の放送が流れるあたりといい、脱力するようなダサさ加減も川崎らしくていい感じですね(笑)。

ラストの花火まで観てから帰りましたが、歩きにくいほど混雑したのは多摩川の堤防から下の道路に下りるところまで。
人の流れに乗って溝の口まで歩いたら駅はほとんど混雑しておらず、運良く川崎まで座って帰ることができました。

有名な花火大会もいいけど、こういうまったりした花火大会もいいもんですね。
来年はちゃんとシートを敷いて、ビール片手に花火見物するのもいいなぁ~。:D~~

あっさりトマトパスタ完成♪

先週の実験結果を生かして、いよいよあっさりトマトパスタの完成版を作ってみました♪
味のごまかしがきかないシンプルなパスタとしては、かなり美味しくできたと思います。(^^

材料(1人前)

  • パスタ(1.6mm) 100グラム
  • トマト 中1個
  • タマネギ 中1/2個
  • にんにく 1かけ
  • エキストラバージンオリーブオイル 大さじ2
  • バジル 少々

作り方

  1. トマトは湯むきして1センチ角程度の角切りにし、ザルにあけて余分な水分を落としておく。
    タマネギはみじん切り。にんにくは包丁の腹でつぶしてからみじん切りにする。
  2. パスタを茹でるためのお湯を沸かす。具材に塩味がないので塩はたっぷり。
  3. フライパンにオリーブオイルを熱し、にんにくを入れて炒める。にんにくの香りが出てきたらタマネギを加え、パスタが茹で上がるまで炒める。
  4. お湯が沸いたらパスタを入れて茹で、ザルにあげる。
  5. フライパンにトマトを入れて軽く(10秒程度でOK)炒め、パスタと茹で汁(大さじ2~3杯くらい)を加えて手早くあえる。
    塩加減は茹で汁の量で調整。トマトにはできるだけ火を通さない方が良いのでスピード勝負です。
  6. 皿に盛り、バジルを振って完成♪
pasta.jpg

写真を撮るのを忘れて食べ始めてしまったので、なんとなく汚い画像でスマソ……。
でも、先週の画像と比べると明らかにこっちの方が美味しそうですね。(^^

レシピ通りに作ると、最初はトマトがすごくフレッシュで自己主張してますが、パスタの熱が通るにつれてだんだん全体と調和して 「トマトソース」 といった感じになるという味の変化が楽しめます。
もし最初から味が馴染んでいるほうがよい場合は、パスタが茹で上がる少し前にトマトを炒め、火を止めて味を馴染ませておくといいかも。

2005年8月16日火曜日

幸福な孤独

夏休みも今日で終わり。
不思議なことに、いつも明日から仕事だと思うと料理がしたくなるので(笑)、今日は昼飯と晩酌のつまみを作りました。


昼は先週作ったトマトのパスタに再チャレンジ。

hirumeshi.jpg

今日は、前回の反省点を検証するため色々と実験的な試みをしてみました。
前回とあわせて、目指す方向が大体固まってきた感じ。
欲を言えば、もっと味の濃いトマトが使えるといいんだけど……。
デパ地下にでも行って探してみるしかないのかな。


続いて晩酌のつまみ。
好物のだし巻き玉子を自分で作ってみたくなったので、玉子焼き器を購入してみました。
ほとんど初めてのチャレンジだったので玉子の巻きはイマイチ(最初に入れた玉子の量が多かったせいで幅が広くなってしまいました……とほほ)だったけど、焼き上がりは


ほかほかのふわふわ~

で、かなりいい感じ♪(*^-^*)
女の子がこんなん作ってくれたらすぐでも恋に落ちちゃいますね(笑)。


banmeshi.jpg

そんなわけで、厚揚げのオーブン焼きと昼間に作って冷やしておいたナスとオクラの煮びたしと一緒に晩酌。
まさに至福のひとときでした……。:D~~

2005年8月14日日曜日

「東京ATLAS」 の旅 コンプリート!

以前の日記でも書いた、ドリカムの 「東京ATLAS」 ゆかりの地を自転車でたずねるプロジェクト。
今回はプロジェクトを締めくくるべく、残りのスポットを一気に巡ってきました。(^^

まずは、川崎から15号線を北上して芝浦へ。

shibaura.jpg

実のところ、芝浦埠頭の海沿いはほとんどが関係者以外立ち入り禁止になっているので、海が見えるポイントはあんまりありません。(^^;
ぐるっと一周しながら良さげな場所を探して、なんとか写真撮影に成功しました(笑)。

shibaura2.jpg

そうそう、芝浦といえばレインボーブリッジの遊歩道への入口があるのですが……

iriguchi.jpg

この遊歩道は自転車進入禁止
元々自転車では通れないことは知っていたので写真を撮ろうと近づいただけなのですが、警備員に声高に警告され、まるで往年のベルリンの壁にでも来たかのようです。
「通れないのは知ってる。写真を撮りに来ているだけだ」 って言ってるのに、チャリを停めて写真を撮っているあいだ、すぐそばに警備員が立って監視されてました(笑)。


続いて、麻布十番六本木ヒルズを経由して西麻布へ。
そう、目的地は霞町のスタンドです。

西麻布の交差点に着いてあたりをキョロキョロしていると、運良くすぐ近くにガソリンスタンドを発見!
どうすれば 「霞町のスタンド」 とわかる写真を撮れるかなーと考えていたのですが、ちょうどバス停が目の前にある絶好のロケーションでした♪

kasumicho.jpg

西麻布からそのまま六本木通りを直進し、渋谷の手前を右折して青山通りへ。
えっちらおっちらと坂をのぼっていくと、そこは表参道の交差点です。

omotesando.jpgomotesando2.jpg

「東京ATLAS」 では 「車のウィンカーが壊れて手信号」 をして恥ずかしい思いをするのですが、こういう人の多い場所で写真を撮るのも結構恥ずかしいです。(^^;


と、いうわけで。
「東京ATLAS」 完成~。(^^
(ホントは歌詞を載せたいんだけど、色々と問題がありそうなのでとりあえずこれで……)

  • 表参道の真ん中
    omotesando.jpg


  • 羽田まで海を潜るトンネル
    (本当は湾岸線のトンネルのことだと思うけど、自転車では通れないので……)
    haneda_tunnel.jpg


  • 芝浦
    shibaura.jpgshibaura2.jpg


  • お台場の砲台跡地
    odaiba.jpg


  • 京浜島
    tsubasa_koen.jpgjet.jpg


  • 霞町(現在の西麻布)のスタンド
    kasumicho.jpg

2005年8月12日金曜日

あの夏の花火

明日は東京湾大華火祭なんですね。
知り合いが 「晴海主会場のチケットが余ってるんだけど」 と誘ってくれたのですが、運の悪いことに明日は休日出勤なのでした……。

仕方なく、ヤケ酒を飲みながらドリカムのDVDを観てたら、1曲目が 「あの夏の花火」 (笑)。
「あの夏の花火」 といえば、やっぱりドリカムワンダーランド1995や(2005年のツアーでも映像が流れた)ドリカムワンダーランド2003のアンコールだけど、今日は疲れているせいか1曲目から泣きそうになってしまいました。

あー、余裕ないなぁ俺……。ふぅ。

ドリが先日のツアーで 「30年を目指す」 と宣言したことだし(今年は15周年)、僕も2012年のツアーで 「時間旅行」 を聴くのを楽しみに頑張るか……。(^^;



ちなみに、僕の 「あの夏の花火」 はつなぎ温泉御所湖まつりです(笑)。

2005年8月10日水曜日

恐怖の大王

ここ2ヶ月ばかりずっと仕事が忙しい状態が続いているのですが、なんだかいつまで経っても楽になりません。orz

昼間は問い合わせやら人のサポートやら会議やら来客やらであわただしく、自分の仕事に集中できるのはいつも定時後。
おまけに、僕の仕事は自分の業務にだけ注力すればよいというものではないので、単純に忙しいという以上に精神的な疲労が溜まるのです……。


大衆の大半は、気まぐれなうえに実のない欲望に満ち、情熱にふりまわされて結果など気にも留めないような連中である。そんな連中を秩序に従わせるためには、恐怖をたっぷりと味わわせるしかない。古代人が、神と、死後の罰という信念とを作り出したのはこのためである。

―― ポリュビオス(ローマの歴史家)

おおお、俺もヤツらに恐怖をたっぷりと味わわせてやりたいぜ!(×o×)

2005年8月7日日曜日

歌う妖精とオリーブの香りの日曜日

一時は買い替えまで考えたデジカメが無料修理できることになったので、なんとなく数万円得した気分の今日この頃。 (← 錯覚)
そんなわけでふと物欲に駆られ、土曜日に川崎に出かけて以前から気になっていたシンフォニック=レインを購入してきました。
おお、ギャルゲーを買うなんて初めての経験だ~!

そんなわけで、今日は朝からゲームをプレイしていたのですが、物語の舞台がイタリアをイメージしているだけに、プレイしているうちに思わずくパスタが食べたくなってしまいました(笑)。

午後になって腹が減ってくるともう我慢できなくなったので、外が少し涼しくなると早速買い物に出発。
夏ということで、今日はあっさりトマトパスタを作ってみることにしました。

初めてのレシピだったけど、ちょっと贅沢に少し高価なトマトやら国産のにんにくを使っただけあって、なかなか美味しくできました。:D
簡単だけどかなり美味しい料理なので、トマトの分量のバランスや火の通し方などを改良してもっと完成度を高めたいですね。
感覚を忘れないうちにまた作ってみなくっちゃ。
にんにくもまだ大量に残ってるし(笑)。

2005年8月6日土曜日

旅の準備

自分探し3級取得プロジェクトに向けて、少しずつ調整やテストを始めることにしました。


まずは、先日鶴見川の源流に行ったときに痛めてしまった左膝の対策。
注意してペダリングしてみるとペダルを踏む位置に若干違和感があったので、左足のSPDクリートの位置を1ミリほど外側にずらしてみました。
いつものように多摩川の河口まで走ってテストしてみたところ、結構いい感じです。

ロードレーサーの入門本を読むと、サドルの高さやクリートの取り付け位置などを 「ミリ単位で調整する」 といったことが必ず書いてあるのですが、今更ながらポジショニングの大切さを実感させられました。
たとえば固定式ペダルの場合、全く同じ足の位置のまま何千回もペダルをこぐことになるわけで、ほんのわずかな違和感も最終的には大きな怪我に繋がりかねないのですね……。


続いてのテストはタイヤの空気圧。
先日取り替えた新しいタイヤは適正空気圧が100~150PSIとなっているのですが、今までせいぜい100PSIちょっとまでしか空気を入れたことがありませんでした。
しかし、空気圧が高いロード用タイヤは自然に空気が抜けやすいので、長い旅に出る前には空気圧を高めにしておきたいところです。

とりあえずテストのため、空気圧を130PSIほどにして(ウチにある空気入れではほぼ限界)多摩川の河口まで走ってみることにしました。
多少振動が多いかなと思いつつ大師道の歩道を走っていくと、とある交差点を渡ったところで後輪から銃声のような 「パーン!」 という音が!
最初は花火でも踏んづけたのかと思ったのですが、自転車を下りて調べてみると後輪がペチャンコになっていました。(-_-;

工具を取り出してタイヤを外してみると、なんとチューブが10センチに渡って裂けているではありませんか。
タイヤには何も異常がなかったので高圧が原因でバーストしたようです……。
予備のチューブを持ってきていたので、交換作業を行って無事走り出すことができましたが、炎天下の中思わぬパンク修理練習になりました。(^^;


あ、そうそう。
もちろん、竹本くんの旅を読み返すのも忘れてませんよ(笑)。
ウチからだとコース的に遠回りになるので、事前に浜田山には行っておきたいなぁ~。

2005年8月4日木曜日

MATRIX風画像が撮れるデジカメ

matrix.jpg

新製品カコイイ!


……じゃなくて。

デジカメ壊れました。 (´д`;)

液晶で表示される画像はこの症状に似てるんだけど、うちのは本体シリアルが24で始まるので対象外なんだよなぁ。
ま、とりあえず電話してみるか……。

2005年8月1日月曜日

ゆびさきミルクティー (5)

この作品は恋愛漫画だと思っている方がいらっしゃるかもしれませんが、それは大きな間違い!
実はSF漫画なのです(笑)。

ストーリーが進むにつれて主人公の人でなし度が急上昇してきた本作品ですが、5巻ではついに畜生道に落ちました(笑)。
このままでは、SFを通り越して宗教の域に達しそうな勢いです。

ここまできたら、ひだり加賀見といったガキんちょだけでなく高槻児玉といった男性陣まで喰い尽くし、姉と二人新世界に旅立つというストーリーはどうだろう!?
一般誌に掲載された漫画の中では、かなり伝説的な作品になれるような気がします(笑)。