2009年7月9日木曜日

眠くて仕方ない

眠い。
「眠くて死にそうだ」という表現が実感できるほど眠い。

最近、というかもうここ1か月くらいになるけれど、午前中目がくらみそうになるほど眠い日々が続いている。
頭の中に眠気の塊が居座っているような感じで、歩き回ったり、トイレに行ったり、何をやっても眠気が去ってくれないのだ。
まるで出社前に間違えて眠剤を飲んでしまったみたいだ。
電車の中では座れたらもちろん爆睡。
立っていてもつり革にしがみついてまどろんでいる。
眠いのは会社に着いてからも変わらない。
もちろん仕事も全くはかどらない。
起きていることだけで全力を振り絞っているような状態なのだから、それも当然だ。
椅子に座っていることもつらくて、医務室に行って仮眠をとらせてもらおうかと思ったことも二度や三度ではない。
トイレの便座に座ってうたたねするのはしょっちゅうだ。
長く眠りすぎたせいで、足がしびれて立つのもようやっとという状態になったことも何度かある。
そうやって仮眠をとれば少しは楽になるけれど、それでも軽い眠気は残ってしまう。
昼食をとるのもしんどいので、ここ数日は昼休みになるとすぐ机に伏せて1時間フルに眠っている。
昼食は午後になってから、最近設置されたパンの自動販売機で買ったパンを食べて済ませる。

単に睡眠時間が足りないだけなら話は簡単なのだが、もちろん睡眠時間はそれなりにとるようにしている(7~8時間)。
あいかわらず眠剤も飲んでいる。
それでも、最近は眠剤に耐性がついてきたのか、眠りが浅くて夢ばかり見る夜が多くて困る。
僕はロングスリーパーなのでもともとある程度まとまった時間眠らないとダメな体質なのだが、以前は6時間寝れば疲れをためずに一定ラインの体調を維持できた。
それが最近はまったくダメだ。
しかし、逆に夕方になると体調が良くなってきて目もさえるので、帰りの電車の中で眠ってしまうことは全くない。
以前、睡眠不足が続いていたころは週も半ばになると帰りの電車の中で睡魔に襲われていたことを考えると、現在の状態は単に睡眠が不足しているという状態ではないだろう。

睡眠障害が原因と考えるのが一番妥当だが、これ以上眠剤の量を増やすと今度は薬の効果が翌朝まで残ってしまいそうで心配だ。
僕は今、超短時間作用型のゾピクロン(商品名アモバン)と、中時間作用型のフルニトラゼパム(商品名ロヒプノール、サイレース)を併用している。
眠剤を飲んで寝ても夜中に目が覚めてしまうようなときは、余っているゾピクロンを飲み足して寝るような時もあるが、ゾピクロンは超短時間作用型というだけあって作用時間が3時間くらいしかないので翌朝まで影響することはほとんどない。
一方で、全体的な睡眠の質を改善する(眠りを深くする)には一晩中効いている(作用時間6~8時間)フルニトラゼパムを増量する必要があるが、これはアメリカでは麻薬指定されている(日本でも第二種向精神薬に指定されている。ちなみに第一種向精神薬はあの有名なリタリンが含まれていて、現実的にはほとんど入手できない)結構強力な睡眠薬なので、安易に増量するのもどうかなぁと思う。

いずれにせよ、今週末で薬が切れるのでまた病院に行かなくては。
僕は風邪などの一般的な体調不良では滅多に病院に行くことのないタイプなのだが、精神科は一度世話になると縁を切るのが非常に難しい。
別に禁断症状が出るわけではないが、薬が無くなるのが怖いのだ。
では何が怖いのかというと、それは眠れなくなることだ。
一般的な体調不良なら会社を休んで寝ているなり症状に対処する方法があるが、眠れないという症状から逃げ出すことはできない。
眠れないまま悶々と過ごす夜がどれだけ長いことか。
眠れないことがどれだけつらいのかは、不眠症になった人間でないとわからないだろう。
その点、精神科はある意味合法ドラッグのディーラーみたいなもので、薬物に依存し始めると何としてでも薬をもらうために通わざるを得なくなってくるのだ。

もちろん不眠症が改善して薬を飲まずに済むようになるのが一番良いのだが、精神系の病気は治るのにかなり時間を要する。
よく「うつ病は心の風邪」と表現されるが、風邪のように薬を飲めば2~3日で軽快するような軽い病気ではないのだ。
早く「眠くなって寝る」という本来の睡眠を取り戻したいのだが。。。

2009年7月8日水曜日

村上春樹作品における小便シーンの研究5

国境の南、太陽の西」講談社文庫 pp.50-51

 叔母は気楽に歌を歌いながら野菜を切ったり、味噌汁を作ったり、卵焼きを作ったりした。でもどれだけ経っても彼女は洗面所に行かなかった。それは僕をすごくいらいらさせた。ひょっとしたらこの女はとくべつ巨大な膀胱を持っているのかもしれないと僕は思った。でも僕がほとんどあきらめかけたころになって、やっと叔母はエプロンを取り、台所を出ていった。僕は彼女が洗面所に入るのを確かめてから居間に飛んでいって、手を思い切り二度叩いた。イズミが靴をさげて階段を下りてきて、素早くそれを履き、音を忍ばせて玄関から出ていった。僕は台所に行って、彼女が無事に門を出ていくところを確認した。それからすぐに、ほとんどすれ違いみたいに叔母が洗面所から出てきた。僕はため息をついた。


両親が法事か何かの用事で出かけてしまったある日、彼女を自宅に連れ込んだ高校生の「僕」。
そんな時に限って、突然叔母さんがやってきて夕食を作ってくれるという。
部屋に閉じ込められて出ていくことができない彼女。
僕は叔母さんがトイレに行くタイミングを見計らって、彼女を外に逃がそうとするのだが。。。

大人になってしまった今ではあまり意識しないけれど、パートナーと裸で向き合うことができるということはとても素晴らしい経験だと思う。
でもそれはタイミングがとても難しい。
高校生の男子といえば性欲のかたまりみたいなものだけれど、パートナーが同年代の女性だとしたら、ある程度性的に奔放な性格でないと暴走した欲望が二人の関係自体を損なってしまうことだろう。
僕らが「あの頃」を切なく思い出すのは、そんな薄氷を踏むような危うさを伴った時代だったからなのかもしれない。

2009年7月6日月曜日

ぢごぷり(1)

木尾士目といえば、やっぱりげんしけんより四年生・五年生シリーズだよね、と思う三十路男ですがなにか?

digopuri.jpg

不細工な赤ちゃんを抱いた、巨乳・アホ毛の女の子の表紙。
裏表紙は紙おむつをつまみ上げるゴスロリの女の子。
え?
木尾士目ともあろう人が、まさか育児マンガってぇことはないよね?

......と思っていたら、本当にバリバリの育児マンガでした。
18歳の双子の姉妹が、生まれたばかりの赤ちゃん(ちなみに産んだのは姉のほう。旦那については思わせぶりな描写があるだけで、1巻では詳細は不明)の世話に追われるという一見コミカルなストーリー。

でもイイ!
絵はげんしけん以上にアニメ絵なのに、内容はリアルディープ。
この、気持ちいいくらいネガティブな子育ての描写が最高だ!!
そうだよね、やっぱり木尾士目はこうでなくちゃ!!!
というか、ここまで自分をさらけ出しちゃっていいわけ(笑)!?

子育て漫画といえばママはテンパリストうさぎドロップを読んだことがありますが、相手が生後7日目の乳児ってのは初の世界です。
そりゃあ強敵だよね。
それに、10代の出産って周囲にも相談できる友達なんかいないし、女性としても結構大変なんだろうなぁと思わせられました。
実際のところ、出産が女性の体に与える影響がこんなに大きいとは本書を読むまで知らなかったし。

そんなわけで、子供が生まれたらホント大変だよなぁ~というのがひしひしと伝わってきました。
我が家は二人だけで子育てなんかできるんだろうかねぇ。。。

2009年7月5日日曜日

欲しいものがなくて困る

最近、ミゾがiPod Touchを買ったり、OIK. がPS2を買ったり、聖がウォークマンを買ったり、IkehonがPSPを買ったり、という話を続けて聞かされているうちに物欲が刺激されてしまいました。
定額給付金やボーナスが振り込まれ、なんとなく買い物をしたい時期ではあるのですが。。。

  • 家電品
    エコポイント制度も始まって「買い時」なのでしょうが、残念ながらうちはTVも冷蔵庫も購入済み。
    賃貸に自分でエアコンを増設する気にはならないし。
    新しくしたいものといえば洗濯機くらいですが、ドラム式洗濯機は値段が張るし、なによりも現役の洗濯機がまだまだ使えるのでいまいち食指が動きません。
  • パソコン
    去年の夏にシステムを一新したばかりだし、新しいゲームをやらないのでパワー不足を感じることもなし。
    動画のエンコードなんかの重い処理をもっとやるようならCPUのクアッドコア化も視野に入ってくるのでしょうが、まぁしばらくは現行のままで十分ですね。
    去年の秋にはモニタも新調してしまったし。
    ネットブックの価格帯でMacが発売されたら遊びで買ってみてもいいけれど。
  • ゲーム
    XBOX360を買って地球防衛軍3をプレイするかPS3を買うか。
    PS3ならブルーレイディスク専用プレイヤーとして使うという手もあるけど、いかんせんまだ本体がでかくて値段も高い。
    値段据え置きでもボディが小型化してくれれば買うかもだけど。
  • オーディオ
    今のところメインシステムには不満がないし、住宅事情を考えるとこれ以上ハイグレードの製品を買っても性能が生かしきれないという壁があるんですよね。
    そういった意味ではSACDプレイヤーも、ホームシアターもあんまり意味がない気がします。
    ポータブルプレイヤーもiPod Touch・nano共に持ってるし、イヤホンもUltimate Earsの性能に満足しているのでイヤホンスパイラルにはまり込む必要性はないかなと。
    (でもSHURE SE530がずいぶん値下がりしているのでちょっと気になったり。。。)
    そんななか唯一不満があるのが、パソコンのモニタースピーカー兼用で使っているサブシステム(相方が独身時代に使っていたコンポ)なんですが、一応ONKYOのFRシリーズなんですよね。
    これより上位のシステムを組むと、サブシステムとしてはちょっと大げさになっちゃうので悩みどころ。
  • デジカメ
    しばらく前からデジタル一眼(+単焦点レンズ)が欲しい病にかかっているのですが、やっぱりコンパクトと比べると出番が少なくなるかなぁと思って躊躇しています。
    子供が生まれたりしたら勢いで買うかもしれませんが、それまでは先送りかなぁ~。
  • 文房具
    一時期に比べるとだいぶ文房具熱が冷めてしまっているので特に欲しいほどのものはないですねぇ。
    モンブラン・マイスターシュテュック、ペリカン・スーベーレンあたりは一度手にしてみたいものではありますが。。。
  • 腕時計
    腕時計はもう何年も欲しいと思いつつ、買えない物のひとつです。
    だって高いから。
    オメガあたりは安い並行輸入品がヨドバシなんかでも売られていますが、そのせいかしている人が多いんですよねぇ。だからちょっといや。
    会社ではロレックス派もよく見かけますが、うちの会社の給料でよくそんな高価な買い物ができるなぁといつも感心してしまいます。

そんなわけで、「今欲しい!」と思えるものが何もなくて悔しいので、とりあえずCDを新品・中古合わせて5000円ぶんくらい注文してみました。
前回の焼肉と合わせて、これで定額給付金分は使いおさめかな。

2009年7月4日土曜日

亀裂が入ってきた

アボカド栽培11日目。

種の側面の薄皮に亀裂が入ってきました。

avocado.jpg

はたして成長している証なのでしょうか?
(単に腐ってきているだけだったりして)

参考にさせてもらったWEBサイトには、「水耕栽培は水を腐らせて失敗しやすい」というようなことが書いてありましたが、2~3日放っておいてもすぐに水が濁ったりするわけではないので、よほど不精でない限りは問題なさそうです。
うまく根が出てきてくれるかな?

2009年7月3日金曜日

自信の生まれる場所

自信というものがどういうものだったか、ついぞ思い出せない。
20代を通して培ったと思っていたものは、今思い返すとただの幻想だった気がする。
それはいつか終わらせなければならなかった青春時代の淡い思い出のようなものなのだろうか。
若さゆえの、根拠のない、それでいて確固としたかたちを持った万能感のようなもの。
そのようなものを再び取り戻すことができたら、と思う。

これは一つのステップなのだろうか?
本当の意味での大人になるための。
人生に対する望みを、身の丈に合った大きさにシェイプアップするための時間。
みんな、そのような自分自身に対する失望感を味わって大人になるのだろうか。
それはずいぶんと切ないもののような気もするし、当然のことであるような気もする。

いずれにせよ、このままではいられないなと思う。
否が応でも人生という建築物をこれからも積み重ねていかなければならないうえで、基礎を打たなければいずれ建物は崩壊してしまうのだ。
杭を打つ作業は、壮麗な伽藍を生み出す創造性とはかけ離れているかもしれない。
しかしいつかは行わなければならない作業なのだ。
そして、それは誰かに頼むことはできない。
僕自身の手で杭を立て、槌を振るわなければ成し遂げられない作業なのだ。

杭はどこにあるのだろう?
そしてそもそも、杭を打ち込むべき土壌はどこにあるのだろう?
どうやらまずはそこから探索行を始めなければならないようだ。

2009年7月1日水曜日

限定された可能性の中で

書店に立ち寄るたびに考えることがある。
そこに並ぶ膨大な数の書籍のうち、僕のささやかな人生を通して手に取ることのできるもののなんと少ないことか。
実際に読むことのできる作品はもとより、その存在を認識できる作品でさえごくわずかでしかない。
そんなとき、僕は自らの人生の可能性がいかに限定されたものであるかを痛切に思い知らされる。

産み落とされた時点ですでに失われていた可能性もあっただろう。
人生の節目節目で、何かを手に入れると同時にいくつもの可能性を捨て去ってきたに違いない。
でも、このかわりばえのしない日々の中でこそ、それら以上に数多くの可能性を失い続けているような気がしてならない。
人生を通じて、僕たちはまるで庭木の選定でもするかのように、自らの可能性を無意識に払い落しながら前に進んでいくしかないのだ。
そして最後には、枝葉ひとつない丸裸の幹だけが残る。

より良く生きる。
人生を豊かにする。
それは具体的にどのような作業なのだろう?
たとえ丸裸になるとしても、生きているうちに少しでも幹を太らせようとすることなのか。
わずかな風で折れそうになっても、少しでも高く背を伸ばそうとすることなのか。

30代。
仕事ではすでに中堅と呼ばれる年代になった今、僕はあまりにも迷いが多い。
どのように生きることが自分の人生と言えるのだろうか。
それとも、生きた痕跡として、影のようなものとしてしか人生というものはとらえることができないものなのだろうか。
限定された可能性の中ですら、人生を選択することはひどく難しい。