2005年2月5日土曜日

野火

大岡昇平 著

第二次世界大戦時のフィリピン戦線で結核に冒され、わずかな食料とともに部隊から追放された主人公。
孤独と飢えという極限状態の中で、絶望とわずかな希望の間で激しく揺さぶられる人間の姿を描いた戦争文学の代表的な作品。

回想という形式をとり主観的な心理描写を徹底的に排除したうえで、突き放した視点から主人公の心理状態が客観的に分析・記録されていきます。
それによって、この小説は 「戦争の悲劇」 といった通り一遍の物語を超えたものへと昇華しているように思います。

「ひかりごけ」 が人肉食の事件を通じて人間の原罪を描いた(ように記憶している)のに対し、「野火」 におけるそれは極限状態における様々な葛藤のメタファーとなっているように感じられました。
つまり、主人公が一人の平凡な中年として記号化されているのと同様に、人肉食という問題もタブーの一つとして利用されており、その行為自体は重要ではないように思うのです。

とはいえ戦争における殺人は、近代的な武器によって極めてシステム化されているために 「自分の手を汚した」 感覚が薄く、また 「敵を殺さなければ自分が死ぬ」 という因果関係が明確となるだけにタブーとしては弱い。
そこで、長い飢餓の期間を通じて葛藤が続き、またタブーとして殺人を超えるインパクトを持つ 「人喰い」 というモチーフが登場することになるわけです。

ショッキングであるが故に人肉食の部分に目を奪われそうになる本書ですが、そういった具体的なモチーフより一段階上の視点にこそ、本作品の真価があるように思いました。

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